サイト・トップ頁へ 旧海軍航空基地一覧へ



朝鮮半島の旧陸海軍航空基地




朝鮮半島所在旧陸海軍航空基地
黄色 は旧海軍の陸上機、緑色 は水上機基地、白色 は旧陸軍の飛行場を示します。
( 元画像 : Google Earth より )
会寧 承良 阿吾地 清津 会文 吉州 新義州 咸興 連浦 宣徳 安州 平壌 平壌東 温井里 平康 汗浦 海州 春川 江陵 京城 京城新 水原 烏山 鳥致院 太田 永川 大邱 蔚山 裡里 群山 元山 黄州 甕津 平沢 迎日 光州 鎮海 釜山 麗水 済州島 済州島_ELG

( ↑ 各航空基地名にカーソルを当てると関連する図・写真のデータ・ウィンドがポップアップします )

( 旧海軍の各航空基地の詳細については下のリンク ↓ から当該ページへジャンプします )



朝鮮半島所在の旧陸海軍の航空基地は次のとおりです。



 旧海軍


旧海軍の航空基地は次の10(+不時着陸場1)個所とされています。


  元 山 北朝鮮の威鏡南道元山府に置かれた航空基地で、昭和15年に元山航空隊の開隊と共にその原駐基地として開設されたものです。 現在は北朝鮮空軍のウォンサン(Wonsan)航空基地となっています。
  黄 州 北朝鮮の黄海北道黄州郡に置かれた航空基地です。 現在は北朝鮮空軍のファンギ(Hwangju)航空基地となっています。
  甕 津 北朝鮮の黄海南道甕津郡に置かれた航空基地です。 戦後は北朝鮮空軍のオンジン(Ongin)航空基地となりましたが、現在では全くの放棄された状態となっています。
  平 沢 韓国の京畿道平沢郡に置かれた航空基地です。 現在では在韓米軍のピョンテク(Puyongmyon)航空基地となっています。
  迎 日 韓国の慶尚北道迎日郡に置かれた航空基地です。 現在は韓国海軍のポハン(Guryongpo)航空基地となっています。
  光 州 韓国の全羅南道光州郡に置かれた航空基地で、昭和20年に光州航空隊の開隊と共にその原駐基地として開設されたものですが、元々は昭和10年に民間飛行場として建設されたものを昭和17年になって旧陸軍が接収したとされています。 現在は全くの市街地となっています。
  鎮 海 韓国の慶尚南道昌原郡鎮海邑に置かれた水上機基地で、昭和11年鎮海要港部所属の鎮海航空隊の開隊と共にその原駐基地として開設されたものです。 現在は韓国海軍兵学校の敷地となっています。
  釜 山 韓国の慶尚南道金海郡大渚面に置かれた航空基地で、昭和20年に釜山航空隊の開隊と共にその原駐基地として開設されたものです。 現在は金海(Kumhae)国際空港となっています。
  麗 水 韓国の全羅南道麗水郡麗水面新月里に置かれた水上機基地です。 現在は韓国軍の陸上施設となっています。
  済州島 韓国の全羅南道済州島済州邑に置かれた航空基地です。 現在では済州(Cheju)国際空港となっています。 済州島にはこれに加えて島の南西部に不時着陸場が設けられており戦時中に大拡張されたようですが、現在では放棄され農耕・牧草地となっています。


なお、この他に米軍資料では羅先港、島北部西側、及び新浦湾などに水上機基地があったとされていますが、日本側資料にはこれを裏付けるものがなく、詳細は不明です。



 旧陸軍


旧陸軍の航空基地は次の31個所とされています。


  会 寧 北朝鮮の咸鏡北道会寧郡碧域面に置かれた航空基地で、昭和16年に完成したとされ、かつ航空機の整備設備が併設された北鮮方面の主要な基地となり、旧陸軍の第9飛行連隊が置かれていたとされています。 また飛行場の周囲は南側を除きU字型に射爆場が設けられており、大戦後半には小型機の訓練場ともなっています。 戦後は北朝鮮空軍の飛行学校となり、朝鮮動乱頃までは使用されましたが、その後放棄され、現在では衛星写真を見る限りでは航空基地跡を示すものは何も残っていません。
  承 良 北朝鮮の咸鏡北道承良に置かれた航空基地ですが、昭和14年に民間から用地寄付により計画されたものの、地形・地質などの状況から本格的な基地建設は行われず、結局終戦までほとんど使用されなかったとされています。 終戦後もそのまま放棄されたようです。
  阿吾地 北朝鮮の咸鏡北道阿吾地に置かれた航空基地ですが、昭和9年に民間の用地を買収して計画されたものの、地形・地質などの状況から本格的な基地建設は行われず、昭和16年以降はほとんど使用されなかったとされています。 終戦後も結局そのまま放棄されたようで、現在では衛星写真を見る限りでは航空基地跡を示すものは何も残っていません。
  清 津 北朝鮮の咸鏡北道松郷洞に置かれた航空基地で、通称 松坪飛行場 と呼ばれました。 元々は清津の輸域側河口右岸に置かれていた旧飛行場(通称、砂山飛行場)を昭和10年頃に移したものです。 しかしながら、地質の悪さから度々改良工事が行われ、昭和17年になってもまだ改良が必要とされ、かつ終戦までに全施設は完成していなかったとされています。 結局、終戦後に旧ソ連軍によって完成され、少なくとも朝鮮動乱までは使用されましたが、その後放棄されたようで、現在では衛星写真を見る限りでは航空基地跡を示すものは何も残っていません。
  会 文 北朝鮮の咸鏡北道会文洞に置かれた航空基地で、昭和12年に調査が行われて射爆演習場として旧清津砂山飛行場の代替え案と同松坪飛行場が地質軟弱のために新たな飛行場設置案が出され、昭和15年より建設が行われたものです。 戦後は旧ソ連軍によって使用されたものの1949年には完全撤退し、その後北朝鮮空軍のオレン(Orang)航空基地となって拡張整備されて現在に至っています。
  吉 州 北朝鮮の咸鏡北道吉州郡に置かれた航空基地ですが、旧陸軍資料によると同基地北方地帯が天候不良で通過できない場合の不時着用とされています。 戦後は旧ソ連軍によって改修が行われ、少なくとも1948年頃までは飛行場として維持されたようですが、その後放棄されたようで、現在では衛星写真を見る限りでは航空基地跡を示すものは何も残っていません。
  新義州 北朝鮮の平安北道瀧川郡新義州に置かれた航空基地で、満州方面へ航空兵力投入のための中継拠点とされました。 戦後は旧ソ連軍によって滑走路の延長などの改修が行われ、この時に2本のうちのNNW/SSWのものは撤去されたようです。 1949年頃から北朝鮮空軍の訓練基地となりましたが、その後時期は不明ですが放棄されたようです。
  咸 興 北朝鮮の咸興南道咸州郡河原面に置かれた航空基地で、昭和15年末には概成し第二飛行団の2個飛行戦隊が使用したとされています。 大戦中の旧陸軍の運用状況などは不詳ですが、終戦後は北朝鮮空軍のグライダーなどの訓練基地として使用されましたが、朝鮮動乱の頃に放棄されたようで、現在では衛星写真を見る限り地割りに僅かに敷地跡が残る他は航空基地跡を示すものは何も残っていません。
  連 浦 北朝鮮の咸鏡南道咸州郡連浦面に置かれた航空基地で、昭和15年に改善工事が行われて一応概成したようです。 飛行場地区に隣接して航空廠も置かれており、航空機整備能力など設備も充実した中堅飛行場としての機能を有していたようです。 終戦後は旧ソ連軍指導による北朝鮮空軍の飛行飛行場として使われましたが、朝鮮動乱期以降の状況は不明です。 現在は、滑走路などの状態は良くないものの、元格納庫地区の掩体に複葉機を含む多数の単発プロペラ機が駐機していることから、いまだに現役のヨンポ(Yonpo)飛行場(飛行学校?)として機能しているようです。
  宜 徳 北朝鮮の咸鏡南道咸州郡宜徳面に置かれた航空基地です。 終戦後はしばらく放置されていたようですが、朝鮮動乱直前の1949年になって北東7kmにあるヨンポ(Yonpo)飛行場の代替え離着陸場として使用が始まりました。 その後、NNE/SSWの大型機用の滑走路が新設されるなど拡張されましたが、現在では衛星写真を見る限りでは滑走路などの状態は良くないものの、滑走路脇の掩体に複葉機を含む多数の単発プロペラ機が駐機していることから、いまだに現役のソンドク(Sondok)飛行場として機能しているようです。
  安 州 日本側の資料では確認がとれませんが、米軍資料では北朝鮮の平安道安州郡新安州面に置かれた航空基地で、大戦中に秘匿基地の一つとして建設されたとされています。 終戦時にはまだ完成しておらず、戦後旧ソ連軍によって改修されたものの、結局ほとんど使用されることはないまま1948年頃には放棄されたようです。 現在では衛星写真を見る限りでは滑走路跡の地割り以外には飛行場跡を伺わせるものは何もないようです。
  平 壌 北朝鮮の平安南道平壌府に置かれた航空基地で、旧陸軍の飛行連隊が置かれ、かつ東側に隣接して航空支廠を併設されており北鮮地域で最大の航空機整備・補給能力を有していました。 戦後はピョンヤン(Pyongyan)航空基地として旧ソ連軍及び北朝鮮空軍の拠点飛行場となりましたが、朝鮮動乱後に北朝鮮の首都となって再開発が行われた結果、現在では全くの市街地となっています。
  平壌東 平壌飛行場の東南東約10kmの地に置かれた航空基地ですが、三井鉱山(昭和飛行機)平壌製作所の付属飛行場を旧陸軍においても補助飛行場として使用したものです。 元々はNW/SE1本の滑走路で、E/Sが後から増設されましたが、この時期については戦中なのか戦後なのかは不詳です。 戦後は旧ソ連軍によって使用されましたが、朝鮮動乱前の1949年には放棄されたようです。 現在では衛星写真で見る限り新E/S滑走路跡がそのまま道路となっていますが、時期は不明ですが当初の位置より東に拡張されていたようです。
  平壌南 平壌飛行場の南約北朝鮮の平安南道大同郡龍淵面に置かれた航空基地ですが、日本側資料には出てきませんので詳細は不詳です。 米軍資料では旧陸軍の秘匿基地の一つとして建設され、終戦時には滑走路は概成したものの基地としては未完成であり、戦後旧ソ連軍によって工事が進められたものの1946年中に60%完成状態で放棄されたとされています。 現在では衛星写真で見る限り滑走路跡の地割りが僅かに残るものの、その他には飛行場跡を伺わせるものは見あたりません。 なお、滑走路はカモフラージュのため道路に対して少し傾けた形に作られました。
  温井里 北朝鮮の平安南道江西郡瑞和面雪岩里に置かれた航空基地ですが、2本の滑走路の内NE/SWのものは終戦時にまだ工事中だったとされています。 終戦後は北朝鮮空軍のオンチョン(Inchon)航空基地となって主として訓練用に使用され、また1946年には3本目の滑走路が工事中であったとされていますが、これが現在残る滑走路の元なのかどうかは不明です。 朝鮮動乱後と考えられますが、元の2本の滑走路は撤去され、大型機用のN/W滑走路1本となるなど基地施設が大改修されて現在に至っています。
  平 康 北朝鮮の江原道平康郡石橋里に置かれた航空基地で、昭和3年頃に旧陸軍の演習場だったところに建設されたとされています。 終戦後も旧ソ連軍や北朝鮮空軍によって使用されることはなかったとされ、そのまま放棄されたようです。 現在では衛星写真で見る限りまったくの農耕地となっており、基地の地割り跡も良く分かりません。
  汗 浦 北朝鮮の黄海道平山郡金岩面汗浦里に置かれた航空基地で不時着陸場として使用されたとされていますが、設置の経緯及び実際の運用状況などについては旧陸軍の資料がないため不詳です。 戦後はそのまま放置されて現在でも農耕地となっており、僅かに地割りの跡にそれらしい形状が残されているに過ぎません。
  海 州 北朝鮮の黄海道海州郡泳泉面に置かれた航空基地で、元々は昭和13年に朝鮮総督府所管の公共飛行場として開設され、その後15~16年に旧陸軍によって拡張されました。 終戦時には第202飛行場大隊海州派遣隊が管理しており、九七式戦闘機3機が使用不能の状態で残されていたとされています。 戦後は北朝鮮空軍の管理下に置かれましたが、1948年には飛行場としての使用は放棄され、北朝鮮陸軍の訓練場となったようですが、その後の状況は不明です。 現在では滑走路跡が地割りとして残っているのが衛星写真で確認できます。
  春 川 韓国の江原道春川郡下文延里に置かれた航空基地で、元々は約400m程度の短い滑走路3本が真ん中で交差する形で、後に約570mのENE/WSW1本となりましたが、その時期などは不詳です。 終戦後の状況も不明ですが、朝鮮動乱時以降は韓国陸軍及び国連軍のR307と呼ばれる戦時展開基地となり、現在では主としてヘリコプターの基地となっているようです。
  江 陵 韓国の江原美智江陵郡に置かれた航空基地です。 昭和13~15年頃に改良工事が行われましたが、この時には滑走路は約590mのENE/WSW1本の飛行場でしたが、昭和17年の資料ではX字型にクロスするNE/SWの滑走路との2本となっています。 戦後は韓国空軍のカンヌン(Kangnung)航空基地となり、時期は不明ですがジェット機用に約2600mに拡張されたENE/WSW1本の飛行場に大改修されて現在に至っています。
  京 城 韓国の京畿道京城府汝矣嶋町に置かれ通称 汝矣嶋飛行場 と呼ばれた航空基地で、元々旧陸軍の練兵場が置かれていた地に昭和4年に朝鮮総督府所管の公共飛行場として開設されました。 練兵場内にあったこともあって早い時期から旧陸海軍も利用しており、昭和16年には旧陸軍用の施設の増築など本格的な使用が始まりました。 戦後暫くは使用されませんでしたが、1953年に新規の飛行場として建設された上で民間空港としての使用が開始され、国際線の乗り入れも始まりました。 しかしながら地形的に国際空港としての本格的なジェット機運用のためには拡張性が欠落しており、西北西約11kmの金浦空港(元の京城新飛行場跡)を拡張して1958年に移転、以後本飛行場は韓国空軍のソウル(Seoul)航空基地として使用されましたが、1971年にはソンナム市のガングジュ(Gwangju)航空基地開設に伴って移転し、本飛行場は放棄されました。 現在では全くの市街地の真っ直中となり、かつての飛行場跡の面影はまったくありません。
  京城新 京城飛行場の西北西約11kmの京畿道金浦郡陽西面に置かれ通称 金浦飛行場 と呼ばれた航空基地で、京城飛行場が手狭のため昭和14年に旧陸軍が滑走路4本を有する本格的な航空基地として建設が始まって18年には概成したとされていますが、終戦時にはNW/SEの滑走路は拡張途中であったと考えられます。 戦後は韓国空軍のキンポ(Gimpo)航空基地となりましたが、1958年に新規の飛行場として大拡張されて民間空港としての共用が開始され、国際線の乗り入れも始まりましたが、本格的な国際空港としての運用のためには地形的な拡張性の問題から、韓国を代表する国際的ハブ空港として仁川沖の永久島と龍遊島間の干潟に新たに大規模な仁川(Incheon)国際空港が建設され、主要な国際線はそちらへ移っています。
  水 原 韓国の京畿道水原郡水原邑に置かれた航空基地で、戦時中に訓練用の飛行場として建設されたものです。 戦後は韓国空軍のスウォン(Suwon)航空基地となり、平行する3本の滑走路を有する大規模な拡張が行われて現在に至っています。
  烏 山 韓国の京畿道原郡域湖面烏山里の置かれた航空基地ですが、舗装された滑走路や基地施設などはなく、不時着陸用の飛行場であったと考えられます。 終戦後はそのまま放棄され、衛星写真で見る限りでは陸上競技場などの公共施設地区となっているようです。
  鳥致院 韓国の忠清北道清州郡江外面に置かれた航空基地とされていますが、旧陸軍史料に名前が出てくる以外に米軍史料や地図類にも全くなく、かつ現在の衛星写真からもその位置については判別できません。 おそらく戦時中に建設された不時着陸用の飛行場ではないかと考えられ、また戦後はそのまま放棄され、周囲も含めて当時とは全く異なってしまっています。
  太 田 韓国の忠清南道太田郡柳川面に置かれた航空基地です。 戦後は韓国空軍のタエジョン(Taejon)航空基地となり、おそらく朝鮮動乱後に拡張されたされたものの、大邱市の都市化と共に放棄されたものと考えられます。 現在の衛星写真を見る限りでは付近は全くの市街地の中となっており、航空基地跡を伺わせるようなものは見あたりません。
  永 川 韓国の慶尚北道永川郡に置かれた航空基地です。 1945~50年のデータに基づくとされる米軍地図でも既に記載がなく、その他の米軍史料にもありません。 おそらく終戦後にそのまま放棄されたものと考えられ、現在の衛星写真でその概略推定位置を見る限りでは、河川の幅が当時とは大きく変わっているようで、これからするとその河川敷の中にあったことになります。
  大 邱 韓国の慶尚北道達城郡解顔面に置かれた航空基地で、昭和12年に開設され、昭和15~16年に拡張されて軍民共用の飛行場となり、旧陸軍では集中飛行場の一つとされていました。 戦後は韓国空軍の航空基地となりましたが、その後大拡張され1962年には現在の軍民共用のテグ(Taegu)国際空港となっています。
  蔚 山 韓国の蔚山郡蔚山邑三里山に置かれた航空基地で元々は昭和4年に朝鮮総督府逓信局所管の民間飛行場として開設されたものですが、大邱飛行場の開設に伴い昭和13年には不時着陸場となり、昭和15~16年に旧陸軍の手によって拡張が行われて以後旧陸軍の飛行場として使用されました。 終戦後は戦時における臨時飛行場として維持されましたが、1970年に蔚山市の北東約4kmの郊外に新たに民間の蔚山(Ulsan)空港が開設されたことと蔚山市の都市化に伴い、1980年代には放棄されました。 現在では衛星写真を見る限りでは全くの市街地の中となっており、飛行場跡を伺わせるものは何もありません。
  裡 里 韓国の全羅北道金堤郡龍池面長新田に置かれた航空基地で、昭和18年に朝鮮総督府逓信局所管の民間飛行場として開設されたものですが、時局的に軍民共用というより実質旧陸軍の航空基地としての運用が主体となりました。 戦後の状況については不明ですが、おそらくそのまま放棄されたものと考えられ、現在の衛星写真で見る限りでは飛行場跡を伺わせるものは全くありませんが、地割りに僅かにそれらしいところが残っています。
  群 山 韓国の全羅北道沃溝面仏縁里に置かれた航空基地で、昭和13~14年に土地買収が行われて設置され、更に昭和15~16年に拡張工事が行われました。 終戦後は米軍の管理下に置かれ、朝鮮動乱後に拡張整備が行われましたが、滑走路が現在のように増設・延長されたのは1958年とされています。 本基地は現在でも在韓米軍の主要駐留基地の一つであり、かつ1970年代に軍民共用の飛行場になったとされています。 


その他、米軍資料によると江界、价川などいくつかの飛行場が挙げられていますが、日本側の資料との整合がとれず確認ができませんので省略しております。

なお、いずれも基地そのものに関する史料に乏しく、僅かに知られているのは旧ソ連占領後になっての米軍史料であり、このため旧陸海軍時代の正確な状況・状態については残念ながら不詳です。







サイト・トップ頁へ 旧海軍航空基地一覧へ 頁トップへ

最終更新 : 05/Aug/2018