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済州島航空基地 (付:不時着陸場)



済州島航空基地は、既に開戦前に中枢基地として全羅南道済州島済州邑の地に整備が始まったとされていますが、その状況については不明です。 記録上の本格使用については、開戦後になって鎮海要港部所属の鎮海航空隊に艦攻隊が置かれて本基地に配備されたことに始まるとされていますが、その状況についてもよく判りません。  

また、昭和19年5月15日になって大村航空隊済州島分遣隊がここ置かれましたが、翌20年2月11日には同分遣隊をもって釜山航空隊を編成、釜山航空基地に移転しております。 

実用機基地として終始したためか、運用も含めた基地に関する今に残る史料は非常に少なく、その詳細については不明なところが多いです。

終戦後の状況はよくわかりませんが、1948年には国内空港としての使用が始まり、1968年に済州国際空港となって現在に至っています。 衛星写真を見る限りでは、国際空港として大拡張されたためもあり、旧海軍時代を偲ばせるものは全く無いようです。



   
    現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は陸上機、緑色は水上機です。
(元画像 : Google Earth より) 
   
1961年版の米軍地図ではまだ Airport ではなく、Landing Area の記号となっています。   現在の状況地図。 済州国際空港の真っ直中です。
    (周辺広域地図表示)
   
    衛星写真による現在の状況。 元の滑走路などの正確な場所は判りません。
( Google Earth より )
   
終戦前後の米陸軍史料 (発刊年不詳) より、滑走路のレイアウト図。    
   
1944年の米軍史料より。 点線の区域が飛行場とされていますが、残念ながらはっきりしません。    
   
1945年の米軍資料より。 点線により滑走路2本が示されています。
(左下が北方向)
   



(写真収集中)    
     






(付) 済州島不時着陸場



航空基地ではありませんが、旧海軍の航空施設として併せて取り上げます。

昭和8年に済州島南西部の南済州島郡大静邑 (現在の西帰浦市) に旧海軍が不時着陸場用地として購入したものですが、その後の状況などについては不明です。

終戦時までには当該地の南側に大規模な航空基地が造成されたようですが、正式な飛行場名も含めその状況は判りません。

1944年の米海軍史料では、陸軍と海軍との共用飛行場で、主として戦闘機及び攻撃機の整備に用いられていたとされています。 L字型に1170m (南北) と1050m (東西) の2本の滑走路があったとされていますが、飛行場全体が草地で舗装された滑走路はなかったようで、詳細は不明です。

終戦後は、1961年版の米軍地図では Mosulpo Airfield とあるものの飛行場としての記号もなく、状況は不明です。 衛星写真から判断するに、結局そのまま放置されたと考えるのが適当と思います。

なお、ネット上ではこの飛行場跡 (通称アルトル飛行場跡) を上記の済州島海軍航空基地とするものが見られますが、旧海軍史料による所在地名及び基地レイアウト図と合いませんので、これは誤りと考えます。



   
1961年版の米軍地図では Mosulpo Airfield とされていますが、飛行場の記号はありません。   現在の状況地図。 農耕地のただ中となっています。
    (周辺広域地図表示)
   
昭和8年の旧海軍による用地購入時の史料より。    
 
終戦時の旧海軍史料より飛行場地区のレイアウト図。 上が東方向。   衛星写真による現在の状況。 南側に拡張された滑走路地区の輪郭は判りますが、全く放置されているようです。
( Google Earth より )
   
1945年の米海軍史料より。 昭和14年の日本海軍文書より写したものとされていますが、詳細は不明です。    
   
1944年の米海軍史料より。 飛行場全体のレイアウトが判ります。    



(写真収集中)    
     






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最終更新 : 05/Aug/2018