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幌筵島以南の千島列島の旧陸海軍航空基地




千島列島南部旧陸海軍航空基地
黄色 は旧海軍の陸上機、緑色 は水上機基地、白色 は旧陸軍の飛行場を示します。
( 元画像 : Google Earth より )
新知 東雲原 薬取第三 薬取第一 松輪 年萌 天寧

( ↑ 各航空基地名にカーソルを当てると関連する図・写真のデータ・ウィンドがポップアップします )

( 旧海軍の各航空基地の詳細については下のリンク ↓ から当該ページへジャンプします )



幌筵島以南の千島列島に所在した旧陸海軍の航空基地及び水上機基地は次のとおりです。



 旧海軍


旧海軍の航空基地は次の3個所とされています。


  松 輪 戦前に千島方面の前進作戦用として整備され、開戦までは最北端の基地でした。
  天 寧 開戦後に作戦基地として整備され、終戦時までに3本目の滑走路の追加など大幅に拡張されたとされています。
  年 萌 千島方面の前進作戦用として整備された水上機基地で、水偵のみならず飛行艇も使用したとされています。


その他に宇志知島の北島と南島を挿む東西2つの湾、択捉島の茂世路湾、国後島の白旗湾及びポントマリなどが水上機の仮泊地として使用されたようです。

なお、米軍史料では得撫島の窪根(くぼね)湾内に水上機基地があったとされていますが、旧海軍側の史料が無いため不明です。 もしかするとここも作戦実施上の仮泊地の一つだったのかもしれません。



 旧陸軍


旧陸軍の航空基地は次の5個所とされています。


  新 知 新知(しむしる)島南部の南浦と新知湾に挿まれる平地に1300mの滑走路1本の基地とされていましたが、終戦時にはまだ建設工事途中で未完成のままだったようです。
  東雲原 得撫(うるっぷ)島北東端の東雲原に整備された飛行場で、L字型の1200mの滑走路2本を主体としますが、格納及び整備能力は小型機用であったとされています。 終戦後は旧ソ連軍によって飛行場として維持されたものの実際の使用はなく、遅くとも1949年までには放棄されたようです。
  蘂取第一 開戦後に択捉島蘂取に整備され、1500mx200mの主滑走路1本を主体とする規模的には大きなもので、昭和19年には小型機による滑走路の完成確認が行われたようですが、終戦までには航空基地全体としてはまだ未完成だったようで、旧陸軍による使用状況などは不詳です。 終戦後は旧ソ連軍によって不時着陸場として使用されたようですが、遅くとも1949年までには放棄されました。
  蘂取第二 蘂取第一の南東側に予備的な基地として整備予定、昭和18年に工事が開始されたものの僅か1ヶ月で取り止めとなり、その替わりに蘂取第一の整備・拡充に力が注がれたようです。
  蘂取第三 蘂取第一の北東約9kmのところに1500mx200mの滑走路1本を主体とする蘂取第一の衛星基地として整備されました。


その他に、米軍史料では得撫島西南端近くの蓬莱野(ほうらいの)にあった不時着陸場に1500mx70mの滑走路1本を有する 蓬莱野飛行場 を建設したとされ、戦後の1947〜48年に旧ソ連軍の手によりコンクリート製の滑走路としし、小型機が使用したとされていますが、日本側の史料がなく、また現在の衛星写真でも滑走路を含めてその跡は全く見あたりませんので、詳細は不明です。


その他、米軍史料では宇志知(うしち)島の北島、新知島北部の武露頓(ぶろとん)湾岸に2個所を始めとしていくつかの不時着陸場があったとされていますが、正確な場所も含めて詳細は不明です。







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最終更新 : 15/Jul/2018