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第13話 「日本海海戦」 後編



さて最後の第13話 『日本海海戦』 の後半 (再放送の第26回) で、このドラマとしての総まとめ的な話として、日本海海戦に完勝した後のその後の秋山兄弟です。

したがって、真之を主として海軍関係としては次のところです。


〇 真之が帰国し、好古邸で亡き母 貞に会うシーン

〇 真之が我が家で夜眠れずに悩むシーン

〇 真之が子規の墓参りや正岡家まで様子を見に行くシーン

〇 「敷島」 艦内で 「連合艦隊解散の辞」 を起案するシーン

〇 「朝日」 における連合艦隊の解散式のシーン

〇 真之のその後についてのナレーションに合わせ、海軍省の廊下を歩くシーン


これらのうち私がロケに参画したのは、解散の辞起案のシーンと連合艦隊解散式のシーンの2つで、それ以外の、特に女優さんが出るシーンは例によってお呼びがかかりませんでした(^_^;

「連合艦隊解散の辞」 を起案するシーンは、実際には既に 「三笠」 は佐世保港内で爆沈しておりますので、連合艦隊旗艦となった 「敷島」 でのことですが、成城・東宝スタジオの士官公室セットを使っての撮影です。 毛筆で書くところは代役さんではなく、本木氏自らの自筆です。




ご存じのとおり、本木氏は大変達筆な方で、この撮影の時もリハーサルも撮り直しもなく、本番一回でスラスラと。

なお、ご参考までにロケ中にスタッフ一同にも紹介された本木氏の書を。 他の番組での収録中に書かれたものだそうで、見事なものです。 これはここで皆さんにもご紹介してもよいかと (^_^)




そして海軍関係としては今回の目玉の一つである連合艦隊解散式ですが ・・・・ 先にお話ししたように、加賀・元気劇場さんの三笠オープンセットには後部艦橋から後ろがありません。 したがって、島村が 「朝日」 の舷梯を上がってくる場面などは、セットの前甲板を使って何とか誤魔化しながら撮影をしました。

もちろん舷梯も急造の簡単なものですから、当時の戦艦の舷門としてはちょっと雰囲気が足りないのはご容赦を (^_^;


次の東郷が 「連合艦隊解散の辞」 を読むシーンは、成城・東宝スタジオの長官公室セットでのものです。 したがって、ドラマ上ではこの2つのシーンは今回の最終回になりますが、撮影上の順序としては日本海海戦のシーンなどよりかなり早い時期、つまりセットが綺麗なうちのものということになります (^_^;


なお史実では、連合艦隊が正式に解散したのは明治38年12月20日のことで、これを受けて本ドラマでも出てくる解散式が翌21日に行われました。 そしてこの21日の行事は連合艦隊の解散式であると同時に、連合艦隊司令長官たる東郷がその職を辞しての退隊式でもあったわけです。

この日、東郷は麾下司令長官などを旗艦 「朝日」 に集めて告別の訓示を行った後、祝盃を挙げ、天皇陛下及び帝国海軍に万歳三唱を唱え、そしてその後「朝日」 を退艦しました。

なお、秋山真之が起案し現在 『連合艦隊解散の辞』 として知られるものは、正式には 『麾下一般に訓示』 と題されるものですが、実際にはこの解散式において東郷が麾下司令長官などを前に訓示したものと同じものなのか、後から全軍に別に配布されたものなのかは不明です。 しかしながら、東郷がこれを読む場面がなければ、このドラマとしても纏まりがなくなってしまうでしょう。 それこそ最後の〆ですから。

それにしても ・・・・ この解散式関連のシーン、横須賀の記念艦三笠の後甲板でロケが出来ていれば、と思うのは私だけではないでしょう。 海上自衛隊や (財) 三笠保存会の全面協力が得られて記念艦三笠が使えていたならば、このシーンだけでももっと色々な絵になるものが撮影できたはずです。 そしてそれは本ドラマの放映をご覧になって納得いかれると思いますが、監督さんを始めとするNHKのスタッフ一同の手をもってすれば、十分に可能であったはずのものです。

このドラマが後々の日露海戦ものの映像のリファレンスになるであろう事を考えるならば、大変残念なことであったと思っています。







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 最終更新 : 02/Jul/2017