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第8話 『日露開戦』 後編




 真之連合艦隊作戦参謀となる


第8話 『日露開戦』 の後半 (再放送第16回) は真之が東郷から連合艦隊作戦参謀 (正確にはこの時点ではまだ連合艦隊は編成されていませんので第1艦隊作戦参謀ですが) への補職を内示されるシーンからで、海軍関係で出てくるのは次の3つです。


1.海軍省で東郷が真之に作戦参謀となることを伝えるシーン

2.連合艦隊が佐世保に終結し、真之も季子を呼び寄せて開戦直前の一時を過ごす設定のシーン

3.日露開戦を決意した日本が、海軍大臣から佐世保にいる連合艦隊司令長官に 「大海令第一号」 を伝達するシーン。


その他、真之を含む秋山家の団欒のシーン、海軍省で山本が伊藤に開戦を迫るシーン、宮中の御座所での御前会議のシーンなどがありますが、いずれも私は、というより海軍関係のアドバイザーは誰も、リハーサルにもロケにも参加しませんでした。

いつもどおり、こういう時に限って細かいところで何か出てくるのですが ・・・・ 例えば、御前会議のシーンで、陛下に対して45度の敬礼でない、山本が長剣を剣帯に吊った姿、等々です。

NHKさんには、海軍軍人が出るシーン、それが例え一人の場合であっても可能な限り “保険” として私達アドバイザーを参加させてくれるように依頼はしたのですが、NHKさんにはNHKさんの都合があったようで (^_^;

ただし、平時に宮中へ参内するのに礼装でないのは、単に経費の問題からこうなっています。 これは致し方ないことかと。 他のシーンも含め、本ドラマ全体を通して正装 (大礼装) や礼装のことを言い出すと大変なことになりますので。

それはともかく、1.の真之と東郷のシーンは先にお話ししたとおり横浜・緑山スタジオでのロケです。 真之が何故か参謀飾緒を着けていないのですが ・・・・ 現場で指摘しても間に合いませんでした。

どうも衣装さんを始めとするNHKの皆さんは、参謀飾緒を着ける着けないは資格のある者でもその時次第の任意のものと思っておられたようです。




 出撃前の佐世保


2.の佐世保での真之と季子のシーンは、私は渋谷でこれの主要部分のリハーサルが別の他のシーンと合わせて行われた時に立ち会いましたが、実際のロケには参加しておりません。

ちなみに、NHK 「坂の上の雲」 でのロケ全体を通して、私が出演の女優さんとお会いしたのはこのリハーサルでの石原さとみさんの1回だけでした (^_^;

( もっとも、マルタ・ロケで正岡律役の菅野美穂さんがロケ隊の激励に訪れた時に、撮影中のベースでお話しする幸運がありました。 いや〜、実に可愛い素敵な方でしたね (^_^) )

岸壁から群衆と共に真之と季子の二人が港内停泊中の 「三笠」 を眺めるシーンのところでは、「三笠」 のカットは日本元気劇場さんのセット (平成21年9月の第2回加賀ロケ) で。

これの撮影時ではありませんが、夜間の三笠セットの雰囲気はこのような感じです。




そして内火艇が各艦艇に向かうところは、舞鶴ロケ (平成21年6月) での例の漁船改造のものを使った映像を合成したもの。




夜間、港内を運航する各艦の搭載艇に何故軍艦旗が掲揚されているのか ・・・・ っと言うことは、演出上の “画面効果” としてワザとです。 “ドラマ” ですから (^_^;




 日露開戦へ


そして第8話 (再放送の第16回) の最後が、連合艦隊司令長官の東郷に海軍大臣の山本から 「大海令第一号」 が届けられる一連のシーンです。 このシーンは、色々なロケでのカットが複雑に組み合わされて編集されています。

まずは、山下源太郎大佐 (鷲生功氏) が内火艇で 「三笠」 に向かうところ。 内火艇は同じく舞鶴ロケ時に漁船改造のものを使って撮影。

続いて、内火艇が 「三笠」 に着くところは、加賀・日本元気劇場さんの三笠セット (平成21年9月第2回加賀ロケ) で。




そして 「三笠」 艦内は、平成22年1月の東宝スタジオ・ロケでのものです。 ( 東宝スタジオでのセットなど話しは、後の回で沢山出てきますのでその時に )


最後にここだけの話し。 実はこの内火艇が 「三笠」 に向かうシーンでは、私もエキストラで出ています。 と言うより撮影の時にたまたま人が足りなくて急遽駆り出されたんですが。 もちろん顔などが判るようなカットではありませんが、TV初出演ということで ・・・・ (^_^;





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折角ですから、この軍令部の山下源太郎大佐が持参した封書を東郷が開封するシーンについては少し補足しておきたいと思います。

まず、司馬氏の原作を始めとしてこの封書を「封緘命令」 と言っておりますが、これは正しくありません。 当日の連合艦隊戦時日誌でも 「緊要封書」 と書かれており、また海軍大臣から連合艦隊司令長官宛の事前の電報でも “山下大佐緊要命令を持ち” となっています。

世俗的にこれを 「封緘命令」 と表現しても良いのかもしれませんが、少なくとも司馬氏の言うところの海軍用語ではありません。 ( 「封密命令」 というのは後に日本海海戦直前でも出てくるように専門用語はありますが。) そしてこの時に山下大佐が持参したのは、司馬氏の原著では 「勅語」 と 「大海令第一号」 となっていますが、実際には大海令第一号と海軍大臣からのその大海令発令に至る経緯書の2つです。





勅語は次のとおり、翌2月6日に電報で届いております。




また、司馬遼太郎氏の原作でのこの場面は、次のように成っています。


1.山下源太郎大佐が東京から佐世保に着いたのが、午後6時30分

2.内火艇が 「三笠」 に着いたのが、午後7時

3.東郷の封書開封は2月5日午後7時15分、大海令に記された発令日時も同時刻


しかしながら、山下大佐が佐世保に着いたのは、佐世保鎮守府副官から軍令部副官宛の電報により、少なくとも電報発信の午後5時20分以前であることはハッキリしています。


( 余談ですが、“ダイサ” ではなく “タイサ” であることにも注意してください )

また、東郷が封書を開封したのが午後5時であることは、次の東郷が山本に発した受領報告の電報に記されています。




そして、東郷が受領した大海令第一号には、元々発簡の日付は記されておらず、海軍大臣からの指示により 「5日午後7時15分」 とされ、開封後にこれが記入されました。

この発簡日時については、連合艦隊及び第三艦隊と合わせるための日時が海軍大臣から指定されたものであることは、次の史料からも明らかです。




とは言っても、司馬氏が 「坂の上の雲」 執筆当時は、まだ防衛研究所にあるこれらの旧海軍史料が整理されて研究者に利用可能となる前のことですので、司馬氏の誤りとは言うには無理があり、これは致し方ないことでしょう。

もちろん、現在では上記のことは残された史料によりハッキリしておりますので、監督さんやプロデューサーに話しをして、司馬氏の原作とあまり齟齬が出ない程度に史実に合うようにしてもらいました。

ですから、東郷が封書を開く時に真之が懐中時計を確認するカットでは、午後5時丁度になっています。 ただ、佐世保の2月の午後5時はまだ日没前ですのでドラマでは少々暗すぎなのですが ・・・・ まあこれは画面効果上ということで (^_^;



(注) : 本項での文書類の元画像は、全て防衛研究所戦史部が保有・保管する旧海軍史料からです。







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 最終更新 : 02/Jul/2017