サイト・トップ頁へ 「懐かしの艦影」メニューへ




『坂の上の雲』 の思い出 後書き (後)



NHKスペシャルドラマ 『坂の上の雲』 の制作に元船乗りとしてお呼びいただき、全く違う世界のことに戸惑いながらも、海軍軍事指導という肩書きをいただいて3年9ヶ月にわたりお手伝いをしました。

ただ、放映をご覧いただいた方々の中には、私の仕事はドラマが正しく “史実・事実” に沿うようにNHKさんに進言することだと思っておられる向きがあるようですが、これは正しくは少し違います。

私の仕事は、NHKさんが制作されるものを現場において少しでも “それらしく見えるように” アドバイスすることがメインです。

もちろん、史実や海軍としての実際と異なるところには、監督さんを始めとしてスタッフの方々に口を酸っぱくして、ある意味煙たがられるくらい指摘させていただきましたが、それをどの様に採り入れるかはNHKさんにお任せすることにしておりました。

例え採り入れられなくとも、それらを理解した上でのものかどうかは映像として違ってくると思いますし、何よりも本来の “人間ドラマ ” としての表現が大事だからです。


いや〜、それにしてもお手伝いを始めてから3年9ヶ月間、ロケ参加日数だけでも100日を越えました。 この中にはマルタや北京の海外ロケ、4週間にわたる加賀・元気劇場さんでロケなどがありました。 実に楽しい日々であったと思っております。

第1部から第3部までの、柴田岳志、一色隆司、佐藤幹也、木村隆文、加藤拓の素晴らしい感性溢れる5人の監督はもちろんのこと、助監督始め多くのスタッフの方々、そして出演された皆さん全てのお陰です。


お世話になった全ての方々のお名前をここに挙げてご紹介することはとてもできませんが、本ドラマ制作で特に印象に残るこのお二人だけは、是非ともご紹介させていただきたいと思います。

まず最初は、美術の神林篤氏です。 皆さん方から “カンちゃん” の愛称で呼ばれていました。 第1部から第3部までで使われたロケセットの全てについて、美術チーフの下でその装飾、見栄えを一手に引き受けていたと言っても過言ではないでしょう。

そして如何にしたら画面上 “それらしく見えるか” について工夫を巡らされ、本ドラマの素晴らしい映像となったその多くを担いました。 例えば、ベニヤやプラスチックなどで作られた艦船セットを如何にしたら “鉄の船” に見えるか。 表面のザラザラ感や塗装、汚れにいたるまで、私達からみても “へぇ〜、ああやるとこう見えるんだ” と妙に感心した次第です。


( ちょっと小さい画像ではこの質感がお判り難いかも ・・・・ )

そして戦闘シーン。 徐々に汚れ、壊れて行く姿を色々な材料を上手く使って、実にそれらしく見えるように工夫しています。




まだまだ若い人ですが、努力家、勉強家であり、かつ素晴らしい感性を持っておられると思います。 これからのこの映像美術 (と言うんでしょうか?) の世界における成長と活躍が楽しみな好青年の一人です。


もう一人が記録の野田茂子さん。 皆さんから “茂ちゃん” の愛称で呼ばれ、ちょっとお茶目で、明るく楽しい方で、常に撮影ベース内を和やかにしてくれていた女性スタッフです。


( ご本人に素顔公開の許可を得ておりませんのでこれで (^_^; )

NHKの 『坂の上の雲』 もこれだけの長編になりますと、その撮影も長期間かつ様々なところでとなり、しかも1個所のロケでドラマ上の時期もシーンも異なり、かつ放映される順序通りではなくセットの都合によってバラバラの順番でのことになります。

そしてそれらを編集の段階で必要なカットだけ集めて1つのシーンに繋ぎ合わせて行くわけですから、何時どこでどこまで、何番のカメラの何番のディスクの何分何秒から何秒まで撮ったか、などなどを細かく正確に記録しておく必要があります。

もちろん異なったカットを繋いでいきますから、例えば前のカットで役者さんはこういう動きをしたところまで、とか、この時のカットでのこの役者さんの衣装はどういう汚れだったとか、などなど様々なこともあります。

これら全てを記録し、覚えていかなけらばなりませんので、大仕事であるとともに大変重要な役目です。 しかもロケの最中に、あの時のあのカットの最後はどんなだったっけ? とのスタッフの確認にもテキパキと応じなければなりません。

この野田さん、その職責を実に巧みにこなし、監督以下スタッフ全員から大変に頼られていました。 しかも自ら編集の資格もお持ちですから、これだけの大作のドラマが無事に撮影、編集できたのも、女史の力が大きかったと言えるでしょう。

私のような部外のお手伝いの者は、まずこの記録の野田さんを押さえておけばその時のロケの内容がよく判る、と理解した次第です。

既にご紹介しましたように、野田茂子さんは残念ながら昨年の平成28年に急逝されてしまいました。 私もこの 「坂の上の雲」 では各地でのロケでの撮影ベースではずっと野田さんとご一緒させていただいたのを始め、ロケ終了までの約3年間、部外者の私にも大変によくしていただきました。

確か私と同じ歳だったと記憶しておりますが、ドラマ制作のためにまだまだこれからも活躍していただかなければならなかったに ・・・・ 大病を患ってとかではなく、全くお元気だったのにある日突然だったとお聞きしておりますのがせめてもかと。 改めて野田さんのご冥福をお祈りするとともに、良い思い出をいただいたことに感謝いたします。 合掌



さて、私が関係する海軍関係のロケは、先にもお話ししたとおり渋谷総局のスタジオ内でのものが最後でした。

三笠露天艦橋セットでの撮影が終わった後、渡哲也氏の撮了が場内に告げられ、氏に花束の贈呈が行われました。


    


ところが渡氏に続いて私の名前が呼ばれまして、同じく皆さんの前で花束をいただきました。 スタッフでも出演者でもない単なる部外者のお手伝いですから、思いもかけないことで、これは嬉しかったです。

そしてこの時に、第13話の台本表紙に渡氏と本木氏のサインを。 これも私の一生の宝物です。




貴重かつ楽しい経験をさせていただきましたことを、当時のプロデューサーや監督はもちろん、お世話になったスタッフの皆さんと出演の皆さん全ての方々に、この場で改めてお礼を申し上げる次第です。

なお最後になりますが、ご来訪の皆さんに本当はもっと色々な写真や画像をお見せしたいのですが、役者さん達の肖像権もありますし、何よりも事前にNHKさんにはお断りしないまま私の独断で勝手に再放送とのコラボとして番宣を兼ねてのブログでしたので、今回の本サイトでの纏め直しに当たっても、残念ながらごく限られたものとなりましたことをお断りいたします。







トップ頁へ 「懐かしの艦影」メニューへ 前頁へ 頁トップへ

 最終更新 : 02/Jul/2017