解説 : 「一般計画要領書」について(その2)



 「一般計画要領書」とは (続き)



次に、「B艦甲E16橋立型基本計画概算結果」 という文書がありますが、表紙には次のように書かれています。


「 本資料は艦艇基本計画参考用として表題のものを複製したもので、実際にまとまったE16橋立型(砲艦大)の設計は本内容とは相当に異なる。 本資料は昭和11年3月のもので計画初期のものである。」


内容は、1.計画条件 2.要求要目 3.概算結果 4.重量配分表 5.要目比較 と、一般艤装(案)として図が添付されています。 これらのことや表題、内容から考えると、前述の一般計画要領書(基本計画概案)の前の段階での設計をまとめた内容と思われます。

これと同じように 「B計画砲艦概算結果」 (昭和11年2月12日)という文書があり、これは計画中の砲艦 (注:伏見型) についての次の内容で、前述の橋立型よりも詳しいことから、これらの文書は各々の設計段階のものを取りまとめたものと思われます。


      1.計画条件
      2.要求性能
      3.概算結果
      4.重量配分
      5.航続力算定法
      6.タイプシップおよび類似艦との要目ならびに重量配分の比較
      7.EHP-SPEED Courve
      8.一般艤装図概案


なお、注として次の記載があります。


「本概算はその後数次の改正を経て伏見型計画がまとまり、数、実艦とは相違す」


いずれにしろ、ここに示された図面や文書は途中で何回も検討され、書き直された結果、あるいはその途中のものということになります。

したがって、「一般計画要領書」の本来の形式は個艦別あるいは艦型別に作成された「第○○号艦型一般計画要領書(基本計画概案)」という形で始まり、潜水艦の「一般計画要領書」に示されているように、(基本計画概案)の( )内が、(一次)、(二次)・・・・と進展して、最終の形になると思われます。

しかし、具体的に特定のある艦あるいはある艦型について、そのような一連の流れでの文書や図面を通して見たわけではなく、さまざまの艦の断片的に残されたものを見て、総合してそのような流れで作成が進み、最終的な「一般計画要領書」が出来上がると推察した次第です。 あるいはこれでも誤りかもしれないので、ご存知の方はご教示をお願いしたい。

なお、ここでは「一般計画要領書」と書いていますが、潜水艦のものを見ると昭和14年までは単に「計画要領書」と書かれており、それ以降のものは「一般計画要領書」となっていることから、この頃に「一般」が加えられたのかもしれませんが、これは潜水艦だけかもしれません。


これを要するに、本来 「一般計画要領書」は個々の艦あるいは艦型のものがあり、それを基にして現在公開中のような一覧表的なものが昭和18年に作成されたと考えられます。


そしてこの 一覧表的なものが作成された理由 ですが、この一般計画要領書をコピー印刷したものを近年有料配布している某氏が、『空母機動部隊』(朝日ソノラマ)の中で次のように記述しています。


「昭和18年7月、空襲激化に備え艦政本部で資料保存のために作成された・・・」


実際に、公開された「一般計画要領書」の各々の艦種の表紙の中には作成当時の表紙のままで残っているものがあり、それに記載されている日付を見ると「一等駆逐艦」は確かに昭和18年7月と記載されています。

しかし、「二等駆逐艦及び水雷艇」の製図年月日は昭和18年11月24日、「駆潜艇」は昭和18年10月8日、「掃海艇」は昭和18年5月、「特務艇」は昭和18年11月6日などという日付が記載されていることから、これらを作成した時期は昭和18年の5月から11月の間と考えられ、上記の「昭和18年7月、空襲激化に備え・・」というのには疑問が生じます

なお、「航空母艦」や「巡洋艦」の表紙は作成当時の表紙ではなく、造工での配布の時に新たに作り直されたと思われる表紙になっていますが、理由は分かりません。

当時の表紙には「軍極秘」の印の下方に、「取扱注意 一、用済次第還納を要す 二、部外複写を許さず」という印が押されています。 この「取扱注意」の内容からは、当時作成されたこれら「一般計画要領書」が何らかの用があって貸し出されて、その用が済み次第返還することと、貸し出されたのが部外で、複写は許可しないことを示しています。


したがって、上述のように 「艦政本部で資料保存のために作成された・・・・」 ということはあり得ない と言えるでしょう。


このことを間接的に裏付けているのは、公開中の一等巡洋艦の「一般計画要領書」で、就役している全ての型の砲熕兵装について、計画と現状が空欄になっていることです。 また、二等巡洋艦のうち5500トン型の計画と現状も同様に全て空欄になっています。 資料保存のために作成されたのであれば、このような空欄があることは不可解なことです。

このことからもこれらの資料は 部外、おそらく民間造船所に貸し出すためのもの ではなかったかと考えています。 今となっては当時の事情をご存知の方はおられないと思われますが、あるいは伺えないとしても何か書き残されたものはないだろうか・・・・という思いです。



(その3)へ続く





前頁へ 頁トップへ 次頁へ

最終更新 : 04/Dec/2008