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社航空基地 |
社航空基地は、姫路航空基地の東北東約11kmの兵庫県加東郡社町 (現加東市木梨) の地に置かれていたとされていますが、旧海軍史料には全く出てきませんで、米軍資料には記載されておりますので、ここで採り上げることにします。
米軍史料では、1945年作成のものに、前年の44年撮影とされる航空写真とこれに基づく基地レイアウト、そして45年作成時までの情報に基づくデータが掲載されており、旧海軍の 「Yashiro Airfield」 と識別されています。
ネット上の記事では、同地に民間の青少年訓練用の滑空場として昭和16年に建設が開始され、18年に完成したとされたとされています。 そして、昭和20年に旧海軍が接収して、滋賀航空隊伊吹部隊が「秋水」の訓練に使用を始めたところで終戦を迎えたとされています。
しかしながら、公的資料に基づく裏付けがとれませんので、実際のところは不詳です。 なお、当時、地元ではその所在地名から 「嬉野飛行場」 とも呼ばれていたとされていますが、旧海軍にはその様な名称のものはありませんので “あくまでも通称” の範疇のものです。
ご存じのとおり、「秋水」 はまだ開発段階であり、実戦機も訓練機もない状況で終戦を迎えておりますので、本基地が仮に一般に言われているような 「秋水 」 搭乗要員の用であったとしても、せいぜいが滑空機による初歩的な飛行・着陸訓練が行われていた程度に過ぎなかったであろうことは容易に想像されます。
終戦時の状況も不明で、土地の所有権などがどうなっていたかなどは不詳であり、終戦に伴い大蔵省の所管に移されたのか元の地権者に返されたのかなども判りません。 ただし、昭和22年の米軍撮影写真ではまだ滑走路跡は明確に判別されます。
しかしながら、昭和36年の国土地理の航空写真では、既に滑走路跡もほぼ農地となっており、その西側は学校などの敷地になっており、ここが航空基地であったことを窺わせるものはほぼ見当たりません。
現在では、基地跡は県立社高校、兵庫教育大学付属小・中学校、加東市学校給食センターの他、住宅地となっており、また道路などの状況もすっかり変わってしまっています。
( 写真収集中 ) | ||
最終更新 : 19/Dec/2021