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宮古航空基地 |
宮古航空基地は、南西諸島方面の防備強化として昭和18年6月になって宮古郡平良町七原 (現宮古島市平良下里) の地に建設されたものですが、本基地を原駐とする、又は常駐する航空隊は置かれませんでした。
そして、昭和18年1月に南西諸島所在の航空基地の管理部隊として南西諸島方面航空隊 (本部 : 小禄航空基地) が指定されており、これにより本基地も当該航空隊の管理を受け、宮古派遣隊が置かれました。
終戦までの基地運用状況などは不詳ですが、19年10月の空襲及び20年5月の艦砲射撃などにより大きな被害を受け、実質的に航空基地としてはほとんど機能しなかったようです。
終戦後は米軍管理の空港となりましたが、いつ滑走路が1本のみとなったのかなどは不詳です。 昭和30年には民間チャーター便、そして翌年には定期路線の就航が始まっており、沖縄返還直後の昭和48年には沖縄県を管理者とする第三種空港に指定されました。 その後、滑走路の延長やジェット機化、ターミナルの改善などの拡張がなされ、平成20年に政令改正による地方管理空港となって現在に至っています。
空襲下の宮古基地 | 同 左 | |
米軍撮影の平良市街〜宮古基地〜宮古中基地〜宮古西基地 | ちょっと印刷が悪いですが、米軍撮影の宮古西 (左手前) 〜 宮古中 (右) 〜 宮古 (中央奥) |
最終更新 : 05/May/2019