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ケゼリン、エビジエ、ルオット航空基地 |
ケゼリン環礁 (Kwajalein Atoll) には南東端の主島のケゼリン島 (Kwajalein Island) と北端のロイ島 (Roi Island) にそれぞれ陸上基地のケゼリン航空基地とルオット航空基地が、そしてケゼンリン等の北側のエビジエ (イーバイ) 島 (Ebeye Island) に水上基地のエビジエ航空基地が置かれ、いわゆる航空基地群を形成していました。
昭和13年の海図No.2103よりミリ環礁位置図 | 現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は陸上機、緑色は水上機、赤色は両用です。 ( 元画像 : Google Earth より ) |
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米軍戦史よりケゼリン環礁全体図 | 現在の衛星写真からケゼリン環礁全体 ( 元画像 : Google Earth より ) |
ケゼリン環礁は昭和19年2月の米軍侵攻により環礁全体が占領され、終戦後の1947年には米国の信託統治領となりました。 1990年には信託統治が終了、翌91年にはマーシャル諸島がマーシャル共和国として独立し、ケゼリン環礁もその一部となりましたが、エビジエ (イーバイ) 島以外の主要な島々は米国の租借地となっており、米軍の弾道弾関連の実験場が置かれています。 これらは現在では ロナルド・レーガン弾道弾防衛試験場 (Ronald Reagan Ballistic Missile Defense Test Site, RTS) と名付けられ、米国のミサイル防衛研究開発の中心地の一つとなっていることはご存じのとおりです。
ミッドウェー海戦での敗戦に続き、米軍のガ島侵攻とマーシャル・ギルバート方面への策動に対応して研究された外郭要域防衛強化の構想に基づき、ミレ、ブラウンと共にクエゼリンへの航空基地建設が本格決定されました。
ケゼリン基地は、昭和17年9月には第四海軍建築部ケゼリン派遣隊の手によって既に建設に着工されており、翌18年1月には概成したとされています。
昭和17年末頃に第七〇三空 (陸攻、旧千歳空)、18年初頭頃に第二五二空 (艦戦)、18年末頃に第七五二空 (陸攻、旧第一空)、19年初頭頃に第五五二航空隊 (艦爆) などの一部・派遣隊が配備されたとされていますが、これらについては全てその詳細は不詳です。
ただし、18年6月からは米軍機の空襲が始まっており、これ以降の航空基地としての運用状況などは不明です。
なお、ケゼリン環礁にはケゼリン島を中心に、第6根拠地隊司令部、第61警備隊、第6通信隊、第6潜水艦基地隊などの海軍部隊の軍人約2700名、軍属等約1400名が、また陸軍の第一海上機動旅団第二大隊、同第三大隊第七中隊、南洋第一支隊の一部など約1000名、計陸海軍軍人約3700名が所在し、第6根拠地隊司令官の指揮下にケゼリン防備部隊を編成していましたが、昭和19年1月29日からの米軍侵攻により、2月5日には環礁全島が制圧されました。
米軍占領直後には、ケゼリン基地跡は大規模に改修・拡張されて完全に新たな航空基地として バックホルツ陸軍飛行場 (Bucholz Army Airfield) となり、約1ヶ月後の3月にはB-24等が進駐し作戦行動を開始しています。
ケゼリン島は、現在では全島が米国、というより米軍の管轄下に置かれて米軍基地となっており、居住するのは米軍人・軍属及びその家族のみで、元の住民は北側のエビジエ島に移住させられています。 このため、飛行場にも民間機の離発着はありますが、米軍の軍人・軍属及びその家族以外の一般の搭乗者が同島に降りることはできません。
1944年の米軍史料よりケゼリン島全景写真 | 衛星写真による現在のケゼリン島全景 ( 元画像 : Google Earth より ) |
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1944年の米軍史料よりケゼリン島配置図 |
1944年の米軍史料より空襲下のケゼリン島全景写真 | 1944年の米軍史料より米軍占領後のケゼリン島全景写真 |
エビジエ航空基地はケゼリン島の北側にあるエビジエ (イーバイ) 島 (Ebeye (Burton) Island) に所在する水上基地で、昭和15年末 (一説では昭和14年) に建設に着手され、翌16年7月には完成したとされています。
ただし完成前の16年1月には本基地を原駐とする第十九航空隊 (水偵) が編成され、19年2月に米軍侵攻により玉砕するまでの間所在しました。 開隊後の状況は次のとおりです。
昭和16年 1月15日 昭和17年 11月 1日 昭和19年 2月 5日 同 3月 1日 |
水偵隊をもって開隊、エビジエ基地に配備 第4艦隊第6根拠地隊付属 第九五二航空隊と改称 米軍侵攻により玉砕 解隊 |
開戦後、十九空に加え、他の航空隊も戦況に応じて本基地に一時展開し作戦し、又は中継基地として使用されたとされますが、詳細については省略します。
米軍の侵攻作戦時には、エビジエ島には九五二空及び基地要員の約800名のみが所在していたとされ、その他第61警備隊や陸軍部隊はいなかったとされています。 米軍による同島への侵攻はケゼリン環礁に対する作戦の一番最後となり、昭和19年2月4日に上陸作戦が行われ、翌5日には同島は完全制圧されました。
米軍占領直後には、エビジエ基地跡は大規模に改修・拡張されて新たな米海軍の水上基地となり、終戦まで使用されましたが、戦後はそのまま放棄され、現在では僅かに大艇の滑りや突堤などを残す他は市街地の中となっています。
なお、終戦後は環礁内のほとんどの島々が米国、というより米軍の管轄下に置かれて米軍基地となっているため、エビジエ島には現在同環礁の元住民約12000人が居住しており、このため人口密集度が世界でも極めて高いところの一つとしても知られています。
1944年の米軍史料よりエビジエ島全景写真 | 衛星写真による現在のエビジエ島全景 赤丸 の位置が水上基地跡 ( 元画像 : Google Earth より ) |
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1944年の米軍史料よりエビジエ島配置図 | ||
同上より水上基地部分の拡大 | 衛星写真による現在の水上基地跡 ( 元画像 : Google Earth より ) |
1944年の米軍史料より空襲下のエビジエ島全景写真 | 1944年の米軍史料より米軍占領後のエビジエ島全景写真 |
ルオット航空基地は、ケゼリン環礁の北端に位置するルオット (ロイ) 島 (Ruot (Roi) Island) に所在し、滑走路3本を有する陸上基地です。
ルオット島は日本の委任統治領時代に隣接するナムール島 (Namur Island) と細いコーズウェイ (土手道) による陸続きとなり、今では両島合わせてロイ・ナムール島 (Roi-Namur Island) と呼ばれるのが一般的となりました。
ルオット基地は、昭和14年秋に建設に着手され、16年4月に完成したとされています。 そしてルオット島が飛行場地区、ナムール島が関連施設地区として整備され、昭和16年10月には第二十四航空戦隊司令部及び千歳航空隊 (陸攻x34機、艦戦x24機) が本基地に進出しました。
開戦時はこの千歳航空隊 (昭和17年11月に第七〇一航空隊と改称) を主体として作戦を行いましたが、昭和17年12月には戦力回復のため内地に戻っています (昭和18年3月解隊)。
昭和17年12月には七〇一空に替わり第七五五航空隊 (陸攻、元元山空) が進出し、同隊は翌18年12月にテニアンに移り、換わって18年11月には第七五二航空隊 (陸攻、元一空) の主力、12月には第二八一航空隊 (艦戦) が進出するなどを初めとし、戦況に応じて他の航空隊も本基地に一時展開して作戦したとされていますが、詳細については省略いたします。
昭和19年1月のケゼリン環礁に対する米軍侵攻時には、ロイ・ナムール島には第24航空戦隊司令部及び航空・基地要員や施設隊などと第61警備隊の一部約400名の計約2900名が所在したとされますが、陸軍部隊は配備されていませんでした。 そして昭和19年2月2日から同島に対する米軍の上陸作戦が行われ、翌3日には組織的な戦闘は終了して同島は占領されました。
なお、米軍占領後の2月12日に八〇一空及び八〇二空の大艇x6機をもってトラックからルオット基地に対する夜間攻撃を行い、奇襲に成功し地上に対する多大な戦果を収めて全機トラックに帰還したとされています。
米軍占領直後は、ルオット航空基地跡は大規模に改修・拡張されて滑走路2本を主とする完全に新たな航空基地として ダイス飛行場 (Dyess Airfield) となり、直ちに海兵隊のVMF-311飛行隊 (F-4U) 等が進駐し作戦行動を開始しています。
戦後はケゼリン環礁は引き続き米軍の基地が置かれ、特に各種の試験場や管理施設となり、これらは現在では前述のとおりロナルド・レーガン弾道弾防衛試験場となっていますが、ロイ・ナムール島にはこれらの勤務者 (軍人・軍属及び政府職員) 及びその家族tための居住・厚生施設が置かれ、元住民や一般人の立ち入りは制限されています。
そしてダイス飛行場は、現在では滑走路1本を中心とする ダイス陸軍飛行場 (Dyess Army Airfield) となり、一般には 自由飛行国際空港 (Free-Flight International Airport) と呼ばれていますが、もちろん乗り入れる航空機での一般乗客は乗降できません。
1944年の米軍史料よりロイ・ナムール島全景写真 | 衛星写真による現在のロイ・ナムール島全景 ( 元画像 : Google Earth より ) |
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1944年の米軍史料よりロイ・ナムール島配置図 | ||
1944年の米軍史料より空襲下のルオット (ロイ) 島全景写真 | 衛星写真による現在のロイ島全景 ( 元画像 : Google Earth より ) |
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1944年の米軍史料よりルオット (ロイ) 島配置図 |
1944年の米軍史料より空襲下のナムール島 (手前) とルオット島 (奥) | 同左より空襲下のルオット基地 | |
同上より旧海軍機の残骸が残るルオット基地を進む米軍戦車部隊 | 同左より一式陸攻と格納庫の残骸が残るルオット基地 | |
同上より占領後直ちに修復された飛行場に進駐した米軍機 |
最終更新 : 17/Mar/2019