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串良航空基地



串良航空基地は、昭和19年4月1日鹿児島県肝属郡細山田 (現鹿屋市串良町有里) に整備教育を担当する串良航空隊が置かれたことに始まります。 その串良航空隊の経緯は次のとおりです。

昭和18年 4月 1日
    同
    同
昭和20年 3月 1日
昭和20年 7月10日
串良航空隊開隊
第十八連合航空隊に編入
練習航空隊に指定され、整備教育を担当
第二十二連合航空隊に編入、予科練教育を担当
解隊

また、終戦までに多くの航空隊が本基地を特別攻撃隊の出撃地として使用したようですが、航空隊が移駐したわけではありませんので、細部については省略します。

終戦後は飛行場として使用されることなく全敷地は民間に払い下げられて農耕地となりましたが、滑走路跡はその中心部が道路となりました。

一帯は現在でも基本的には田園風景がそのまま広がっており、かつての航空基地を思わせるものは何も残っていませんが、2本の滑走路の交叉部付近が平和公園となっており、公共施設の他に慰霊塔などが設置されています。


 
終戦時の旧海軍史料から串良航空基地の概略位置関係図。    現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は陸上機、緑色は水上機用です。
(元画像 : Google Earth より) 
 
古い海自部内資料より基地のラフ・スケッチです。 B滑走路とされるものは計画中だったのかもしれませんが実際にはありません。   現在の状況地図。 敷地周辺はまだ農地が広がっています。
      (周辺広域地図表示)
 
終戦時の旧海軍史料より基地施設のレイアウト図。 何故か東西に延びる2本の滑走路が画かれていますが、実際には1本のみです。   国土地理院の2万5千分の1地図から当該部分。 滑走路跡の中央部がそれぞれ道路となっています。
 
1948年の米軍写真より。 滑走路及び誘導路の跡はまだ判別できます。   衛星写真による現在の状況。 滑走路跡の位置が明瞭に判ります。
(元画像 : Google Earth より)
   
1947年の別の米軍写真より。 滑走路及び掩体地区の状況がよく判ります。    



   
本部庁舎前における開隊記念    兵舎前でのバレーボール風景 






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最終更新 : 10/Oct/2015