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種子島航空基地



種子島航空基地は、開戦後の昭和17年8月になって建設されたもので、当初は南方方面への中継基地及び不時着陸場として整備されましたが、大戦中に機能強化され実用基地となっていますが、本基地を原駐とする、又は常駐する航空隊は置かれませんでした。 このため大戦中の本基地の運用状況などについての詳細は不明です。

正式名称は種子島海軍航空基地ですが、その所在地の名称から増田航空基地とも呼ばれています。

また常駐の航空隊が無かったため、航空基地の管理部隊が昭和18年1月には第三航空艦隊が指定され、その後19年7月九州航空隊、同年10月第二航空艦隊、20年2月第五航空艦隊、更に同年7月には再度第三航空艦隊と変わっております。

なお、昭和19年11月に九州航空隊の種子島派遣隊防空隊 (陸上部隊) が置かれ、高角砲及び機銃などによる基地周辺の防空任務に当たっております。

終戦後はそのまま放棄されて農耕地となりましたが、昭和49年には元敷地の東側に宇宙開発事業団 (現在のJAXA) の増田宇宙通信所が設置されて現在に至っております。


   
    現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は陸上、緑色は水上、白色は旧陸軍の基地です。
(元画像 : Google Earth より) 
 
1952年版の米軍地図より基地の位置   現在の衛星写真から、種子島基地の位置
(元画像 : Google Earth より) 
 
1923年の日本地図を基にした1944年の米軍地図より加工   国土地理院の国土地図より加工
   
1945年の米軍史料から基地の概略レイアウト    
   
昭和20年の旧海軍史料から基地のレイアウト    
 
大戦中の旧陸軍撮影による基地全景 (時期不詳)   現在の衛星写真による基地跡の全景
(元画像 : Google Earth より)
   
1945年2月米軍艦載機の空襲に先立つ事前偵察写真より基地全景    



 
 1945年3月米軍艦載機による空襲中の格納庫付近    1945年3月米軍艦載機による空襲中の仮兵舎等地区






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最終更新 : 21/May/2021