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三亜航空基地 (付 : 三亜水上機基地)



三亜航空基地は昭和13年の海南島攻略と同時に第四4根拠地隊の手によって設営され、以後海口航空基地と共に仏印及び中国方面の作戦の中枢基地の一つとして使用されました。 ただし、海南島攻略以前からここに飛行場があったたのかどうかなどについての詳細は不明です。

三亜航空基地には常設の航空部隊は置かれず、その時その時の作戦状況に応じて航空部隊が進出して使用され、正式な海口航空隊が配置されたのは昭和18年になってからのことです。 その状況の概略は次のとおりです。

昭和18年10月 1日
    同
    同
昭和19年 5月 1日
三亜航空隊開隊
第十四連合航空隊に編入
練習航空隊に指定され、艦戦及び艦爆実用機教程を担当
解隊

また、同じく昭和18年10月1日には大村を原駐基地とする第二五四航空隊が海南警備府所属となり、三亜航空基地に配備されました。 同隊は昭和20年1月1日には千歳を原駐基地とする第九〇一航空隊に統合されましたが、引き続き三亜航空基地を使用して終戦を迎えました。

なお三亜航空隊の解隊後は、基地は海南警備府の管理下に置かれましたが、その管理形態の詳細については不明です。

滑走路は コンクリート舗装された NNW/SSE 1100mx60m 及び WSW/ENE 1350mx70m の十字型の2本で、基地機能として大型格納庫を含む充実した設備が完備していたとされています。 また、南側には海岸まで通じる水上機用の誘導路が1本あったとされ、水上機に対する支援設備も有していました。

終戦後は民間のローカル空港として使用されましたが、その後当該地から西約7kmのところに新たな飛行場が建設されて移転、2007年からは国際線が就航し 「三亜鳳凰国際空港」 となっています。 元の三亜航空基地跡はそのまま残されているようですが、現在の使用状況などについては不明です。



 
1998年版の米軍地図から。 左(西)側の飛行場が三亜鳳凰国際空港です。   現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は陸上機、緑字は水上機、赤字は両用です。
( 元画像 : Google Earth より ) 
 
終戦時の旧海軍史料より、三亜航空基地位置図   現在の三亜市周辺の衛星写真。 赤丸が航空基地跡、その左が三亜鳳凰国際空港です。 ( Google Earth より )
 
1954年版の米軍地図より   現在の状況地図
(周辺広域地図表示)
 
写りが悪いのが残念ですが、1945年の米軍史料より航空基地全体写真。 南側に海岸に通じる水上機用の誘導路が1本あったとされています。   現在の三亜航空基地跡
( Google Earth より )
 
1945年の米軍史料より基地周辺写真。 西側に掩待地区が長く伸びているのがわかります。    
 
肝心な部分の写りが悪いですが、終戦時の旧海軍史料より基地レイアウト図    
 
これも写りが少々悪いですが、1943年の米軍史料から基地主要部のレイアウト図    



   
昭和19年本部庁舎前での記念写真    
 
 (撮影時期不詳)   (撮影時期不詳)






 (付) : 三亜水上機基地



三亜基地には陸上機の他に水上機の支援機能もあり、昭和13年の海南島攻略時以降使用されていました。 飛行場地区南側には海岸線に通じる誘導路と滑り(ランプ)が1本ありました。 またこれとは別に、三亜市街に近いところに水上機基地がありましたが、滑りが1本確認できる他は、その規模及び施設などについては不明です。 



    
1945年の米軍史料より三亜航空基地と水上基地との位置関係写真      
   
同じく1945年の米軍史料より三亜航空基地と水上基地との位置関係。 水上基地には滑り(ランプ)が1本あったようです。    



( 写真収集中 )    
     






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最終更新 : 07/May/2018