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石垣航空基地 (第一、第二) |
石垣島に所在する旧海軍の航空基地には、第一石垣と第二石垣の2つがありました。
(注) : 旧海軍や旧陸軍の史料では、中には 石垣島基地 と記されているものがありますが、これらは単に所在地を示したものと考えられ、どちらも石垣島基地とは言わずに 石垣基地 が正式です。
なお、この狭い小さな島に旧陸軍の航空基地も1つ置かれたため、これらを区別するために第一石垣を 石垣北、第二石垣を 石垣南、旧陸軍の飛行場を 石垣東 と呼んで区別しています。
現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は陸上、緑色は水上、白色は旧陸軍の基地です。 (元画像 : Google Earth より) |
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現在の衛星写真から、石垣島における位置関係 (元画像 : Google Earth より) |
本基地は、昭和8年に南方方面への飛行経路上の航空機不時着陸場として沖縄県八重山郡大浜村平喜名 (現沖縄県石垣市真栄里) の用地を購入して建設されたことを嚆矢とし、所在地名から通称 平喜名飛行場 と呼ばれていました。
ただし、一辺約500mのほぼ正方形であり、滑走路も整備されておらず対角線上をとっても滑走距離約780mが一杯の小規模なもので、実際にどれ程活用されたのかなどの運用状況は不詳です。
昭和18年になって、島の南側に新たな航空基地が建設されるのに併せて本基地の拡張も計画されましたが、実際には敷地などは元のままであったとされています。
なお、この昭和18年の新航空基地の建設に伴い、本基地は 第一石垣 と改称されました。 更に旧陸軍の航空基地建設により、これら3つを区別するために本基地は通称 石垣北 とも呼ばれていました。
ただし、基地の規模が規模だけに戦時中の状況などは旧海軍はもちろん米軍側史料にもなく、不詳です。
終戦後は基地としては放棄され、敷地は国有地のまま残されましたが、農耕地として使用されていました。 その後昭和45年に農林省熱帯農業研究センターが置かれ、平成5年に改組されて農林水産省国際農林水産業研究センターとなり、現在では農林水産省所管から国立研究開発法人となっています。
昭和8年の旧海軍史料から不時着陸場用地購入時の位置 | 現在の衛星写真から、第一石垣基地 (元画像 : Google Earth より) |
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同上から不時着陸場用地購入時の用地実測図 | 国土地理院の地図から当該部分を加工。 | |
昭和37年の航空写真から加工。 基地跡は国有地ですが農耕地として使われています。 | ||
昭和47年の航空写真より加工。 基地跡は農林省熱帯農業研究センターとなった直後です。 |
( 写真収集中 ) | ||
本基地は、昭和18年に南西諸島方面の防備強化のために沖縄県八重山郡石垣町平得 (現沖縄県石垣市真栄里) の用地を購入して建設されたもので、その所在地名から通称 平得飛行場 と呼ばれていました。
なお、この昭和19年に陸軍の新航空基地の建設に伴い、これと第一及び第二石垣の3つを区別するため、本基地は通称 石垣南 とも呼ばれました。
昭和19年7月に航空基地の管理部隊として南西諸島航空隊が指定され、当該航空隊の石垣島派遣隊が置かれましたが、しかしながら、それ以外の戦時中の基地の運用状況などは旧海軍はもちろん米軍側史料にもなく、細部は不詳です。
終戦後は米軍管理下にありましたが、昭和31年には民間機の運航が始まり、昭和43年から滑走路が元の1200mから1500mへ延長工事がされました。 昭和47年に沖縄の日本復帰と同時に飛行場の管理も石垣市から沖縄県へと移管され、翌48年には第三種空港となりました。 そして昭和54年 には暫定ジェット機化空港となりましたが、平成25年には新石垣空港の開港に伴って閉鎖となり、現在では跡地の再開発が進められています。
( 写真収集中 ) | ||
最終更新 : 21/Apr/2019