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南大東航空基地 |
南大東航空基地は、戦前に本土と南西諸島・台湾方面とのルート間の不時着陸場として設けられたものですが、その設置時期及び当初の飛行場としての設備などについては、旧海軍の史料になく不明です。
(注) : 南大東空港の公式サイトなどでは “本基地は昭和9年に海軍飛行場として建設された” とされていますが、旧海軍の史料には見あたらず、その根拠とするところは不明です。
昭和18年7月10日になって乙航空隊たる南西諸島航空隊が開隊し (本部 : 小禄航空基地)、南西諸島所在の陸上航空基地がその管理下に置かれ、同隊の南大東島派遣隊が本基地に常駐しました。
本土から沖縄・南西諸島方面への航空作戦が活発となるにつれ、不時着陸を含め本飛行場を利用するものも結構あり、九六式陸攻なども含まれていることから、敷地そのものは当初の単なる不時着陸場よりは拡張されているものと考えられます。
しかしながら、南西諸島航空隊の戦時日誌などでは 「南大東島基地」 と記されているものの、航空基地としての施設の拡張、増設などの状況については不明で、おそらく上記の不時着陸場としての位置付けのままであったと考えられます。
終戦後はそのまま放棄されたものと考えられ、元々が不時着陸場であり転圧式と思われる滑走路の他は大した施設も無かったと考えられることから、昭和38年の米軍航空写真では滑走路跡1本は確認できますがその他の施設跡らしきものについては見あたりません。
昭和38年から1300mの滑走路等の空港設備が整備されて、昭和40年から民間機の利用が始まったとされています。 昭和48年に沖縄県を管理者とする第三種空港として整備されて 南大東空港 となりましたが、この際航空法の関係から滑走路は800mとして使用されました。
このため更なる大型機の運航が要望され島の東側に新たな空港が建設され、平成9年にこれが新南大東空港として開港、元の南大東空港は廃止されて現在に至っています。
1945年7月の米艦載機空襲下の南大東島 | 1945年3月の空襲下の基地写真 |
最終更新 : 21/Apr/2019