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高知航空基地 (第一、第二、第三) |
周辺航空基地との位置関係 黄色は陸上機、緑色は水上機、赤色は両用基地 (元図 : Google Earth より) |
高知航空基地は、高知県香美郡日章村(現在の南国市久枝)に建設され、昭和19年3月15日高知海軍航空隊の開隊に伴いその原駐基地となりました。
高知空開隊以降の概略の状況は次のとおりです。
昭和19年 3月15日 同 同 昭和20年 5月 5日 同 |
開隊 練習航空隊に指定、偵察教育担当 第十三連合航空隊に編入 練空指定解除 第五航空艦隊第十二航空戦隊に編入 |
終戦時には、白菊x16、二式中練 x1、九三式中練 x2、一式陸攻 x1など計26機が残存していたとされていますが、これらほとんどは大・中破の状態であったようです。
終戦後に連合軍に接収されましたが、昭和52年に返還となり、54年には民間航路が開設されています。 そして58年には民間航空に指定されて高知空港となり、以後施設・滑走路が拡張されて現在に至っています。
本部庁舎前にて記念撮影。 前列中央:永野修身大将、左横;高知県知事 (昭和19年)) |
第1戦闘指揮所前にて記念撮影。 (昭和20年) |
第二高知航空基地 (通称、浦戸飛行場又は第二飛行場) は、秘匿飛行場、いわゆる “牧場” の一つである 「仁井田航空基地」 として高知県長岡郡三郷村の地に建設され、昭和20年4月1日に高知海軍航空隊を管理部隊として開設されました。
旧海軍の終戦時の史料では、砂利式転圧の滑走路1本 (長さ 1850m x 幅 60m) であったとされ、他の施設などについては不詳で、また終戦までの航空機の運用状況などについても不明です。
戦後はそのまま元の民間地権者などに払い下げられたようで、現在に到るまでほとんどが農地となっています。
(写真収集中) | ||
第三高地航空基地 (通称、宮内飛行場又は第三飛行場) は、秘匿飛行場、いわゆる “牧場” の一つである 「窪川航空基地」 として高知県高岡郡四万十町宮内の地に建設され、昭和20年7月には概成して高知海軍航空部隊を管理部隊とする航空基地となったとされています。 ただし、旧海軍の史料が乏しく、建設経緯や運用状態などの正確なところはよく判りません。
郷土史などの一般資料では、沖縄方面に対する特攻作戦が打ち切られた後に本土決戦に備えて航空機を分散、隠蔽するためであったとされており、昭和20年春頃から建設工事が始まり7月10日に概略が完成したされ、第五一一三設営隊がこれに携わったとされています。
終戦時の旧海軍史料では、砂利敷き転圧 (一説には、その上に樫木の丸太を敷き詰めたともされています) の滑走路1本 (長さ 1180m x 幅 70m) であったとされ、他の施設などについては掩体、誘導路などがあったとされる以外は不詳です。
そして鹿屋に進出してた白菊などが高知に戻った際にここにも分散配置されたとされ、終戦時には練習機の白菊や二式中練など27機があったようですが、そのほとんどが中破又は小破の状態だったとされています。
戦後はそのまま元の地権者などに払い下げられ、一帯はほとんどが現在に至るまで農地となっております。
(写真収集中) | ||
最終更新 : 29/Aug/2021