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美幌航空基地 (第一、第二、第三)



周辺航空基地との位置関係 黄色は陸上機、色は水上機基地 (元図 : Google Earth より)



 美幌航空基地 (第一)


美幌航空基地は、昭和13年に網走郡美幌町の農地約770ヘクタールを買収、翌14年から建設工事を開始し、昭和15年10月1日美幌海軍航空隊の開隊に伴いその原駐基地として開設され、中攻の中堅運用基地として使用されました。

美幌空開隊以降の概略の状況は次のとおりです。

昭和15年10月 1日
    同
昭和15年11月15日
昭和16年 1月15日
昭和16年 3月26日
昭和16年 9月 2日
昭和16年10月24日
昭和16年12月 8日
昭和17年 4月
昭和17年10月22日
昭和17年11月 1日
昭和17年11月17日
昭和18年 3月15日
開隊
大湊要港部に所属
第二連合航空隊(連合艦隊)に編入
第二十二航空戦隊(第十一航空艦隊)に編入
中支に進出、作戦に従事
原隊に復帰
台湾南部、次いで仏印に展開
以降、仏印基地で作戦に従事
内地に転進
テニヤンに進出
第七〇一航空隊と改称
ラバウルに進出
解隊

美幌航空基地は実戦基地として終始したため、非常に史料が少なく、終戦までの推移についてはよく判りません。

昭和17年11月1日〜翌18年6月1日の間、同基地は第四十一航空基地隊美幌分遣隊の管理下に置かれました。

昭和18年11月1日には本基地を原駐基地として第五二三航空隊が開隊、香取航空基地において編制されましたが、昭和20年7月15日に開隊されるまでの間本基地には一度も戻ることはありませんでした。

また、終戦までに次の部隊の一部が本基地を作戦使用したとされていますが、その詳細は不明です。

第五五二航空隊 (艦爆)
 
昭和18年 5月23日
昭和18年 6月23日
  一部が美幌進出 (原駐基地 : 茂原)
原隊に復帰

第五〇二航空隊 (艦爆)
 
昭和19年 2月20日
昭和19年10月 1日
  美幌に進出 (原駐基地 : 松島)
解隊

第五五三航空隊 (艦爆、
艦攻) 
昭和19年 3月下旬
昭和19年10月 1日
  美幌に進出 (原駐基地 : 築城)
解隊

その他に、第五十一航空戦隊司令部が昭和19年4月上旬から、北東航空隊が同10月1日から、本基地に進出し終戦まで所在したようですが、詳細は不明です。

なお、昭和16年10月に第二海軍航空廠 (木更津) の大湊支所に属する美幌分工場が設置され、昭和17年4月には大湊支所が第四十一海軍航空廠となり、その隷下の分工場として終戦まで存続しました。

終戦時には、九七艦攻 x7、天山 x3、彩雲 x1、九六陸攻 x23、一式陸攻 x9、九三中練 x20の計62機が残存していたとされていますが、これらの全てが飛行可能であったかどうかは不明です。

終戦後の昭和20年10月には米陸軍が進駐しましたが、目的は飛行場としての機能破壊であったとされ早くも翌年9月には接収解除となり、基地のほとんどは大蔵省所管となりました。

その後は民間に払い下げられることもなく、警察予備隊発足と共にその駐屯地となり、現在の陸上自衛隊美幌駐屯地に至っています。 このため飛行場機能はないものの、基地跡は比較的そのまま残されており、特に航空隊本部庁舎などは現在もそのまま残されております。


 
古い部内資料にある美幌航空基地の敷地のラフ・スケッチ。    現在の状況地図。 現在では陸上自衛隊美幌駐屯地となってします。
      (周辺広域地図表示
 
終戦時の旧海軍史料より第一美幌航空基地の位置図   国土地理院発行の2万5千分の1地図より。
   
    現在の衛星写真。 滑走路跡も含め比較的航空基地の形状が残されています。
(Google Earth より)
 
昭和22年の米軍航空写真から。滑走路は既に破棄されていますが、その他はほぼ元のままです。    昭和52年の航空写真から、4枚の合成で。
   
    平成16年の航空写真から。



(写真収集中)    
     





 

 第二美幌航空基地


第二美幌航空基地は、昭和10年に中央気象台が元々の競馬場であったところに気象観測用の飛行場として建設されたもので、これを大戦中の昭和17年に海軍の航空基地として整備したものです。

大戦中は昭和19年に美幌 (第一) 航空基地に進出した第五十一航空戦隊隷下の第二〇三航空隊 (艦戦) 及び第五五三航空隊 (艦攻) の一部が本基地に展開したとされていますが、その他基地としての使用状況などの詳細については判りません。

終戦時までに第2滑走路を含め航空基地として完成した状態であったのかどうかは不明です。 また終戦時に本基地には九六式陸攻x5、一式陸攻x1、零式輸送機x3、白菊x16の計25機が残存していたとされていますが、飛行可能な状態であったかなどについては不明です。

終戦後は米軍に接収されて滑走路などは一旦は取り壊されましたが、その後再度復旧され不時着陸場として整備されています。 昭和31年には一部が返還されて北日本航空 (当時) が丘珠線として使用する女満別空港となり、昭和33年には全面返還され、昭和38年に第三種空港となりました。

その後南側隣接地に新空港が建設されて昭和60年に新女満別空港として移転、女満別空港は閉鎖されました。

元の空港跡は民間に払い下げられボッシュ社の女満別テクニカルセンターとなって現在に至っており、旧滑走路跡はテストコースとして使用されています。


   
    現在の状況地図。 元々の岬の山の部分は緑地公園となっています。
      (周辺広域地図表示
 
終戦時の第二美幌航空基地配置図 (女満別町史編纂委員会編 『女満別小史』 より) 拡大図は左方向が北になります。   国土地理院発行の2万5千分の1地図より当該個所。 滑走路跡以外に航空基地であったことを残す物は見あたりません。
 
昭和23年の米軍航空写真から。 V字に交差する形で新しい滑走路を増設工事中であったことが判ります。   昭和52年の航空写真から、旧女満別空港として使用中の状況。
   
    平成12年の航空写真から。 滑走路跡は民間の自動車関連機器メーカー 「ボッシュ」 社テクニカルセンターのテストコースになっています。



(写真収集中)    
     





 

 第三美幌航空基地


第三美幌航空基地については旧海軍の史料が乏しく、建設経緯や運用状態などについてはよく判りません。

終戦時までに基地施設が完備していたのかどうかも不明で、また終戦時には本基地には1機も残存していなかったとされています。

終戦後は民間に払い下げられ、元の全くの農地となり、現在では僅かに誘導路などが農道として識別できる程度で、他に基地跡と判るようなものは残されていないようです。


(旧海軍の地図データはありません。)  
    現在の状況地図。 元々の岬の山の部分は緑地公園となっています。
      (周辺広域地図表示
   
    国土地理院発行の2万5千分の1地図より当該個所。 現在でも農地が拡がる田園地帯となっています。
   
現在の衛星写真。 誘導路跡以外に航空基地であったことを残す物は見あたりません。 (Google Earth より)
 
昭和22年の米軍航空写真から。 まだ滑走路や誘導路などがそのまま残っているようです。   昭和52年の航空写真から、2枚の合成で。
   
    平成15年の航空写真から。



(写真収集中)    
     






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最終更新 : 06/Oct/2015