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八丈島航空基地



八丈島航空基地は、昭和2年の官房機密訓令に基づき昭和3年に八丈島三根村字群ヶ平 (現八丈町三根丘里) に横須賀鎮守府所管の航空機臨時着陸場として土地買収の上整備されたもので、当時は所在地名から通称 三峰飛行場 とも呼ばれていました。 当時はまだ単に整地されただけのもので旧海軍としては普段は使用していないことから、昭和4年には静岡県の水産試験場が魚群捜索のための航空機の仮設の飛行場などとしても利用しております。

更に昭和8年度には八丈島航空機不時着陸場設備として航空隊設備費が予算化されていますが、これの詳細については不明です。

その後、当該臨時離発着場の南側に新たに滑走路を備えた新航空基地が整備され、飛行場機能はこちらに移りましたが、その新設時期などについては不詳です。 そして、その後元の飛行場地区は管理地区及び弾薬・機材などの倉庫地区になっております。

昭和19年12月15日から20年5月15日の間は第903航空隊の艦攻x4機による八丈島基地派遣隊をもって哨戒・索敵及び船団護衛を実施しています。 また昭和19年12月頃には302航空隊の月光の八丈島派遣隊が置かれたことは知られていますが、昭和20年1月10日には月光x3機、26日には派遣隊地上要員が本隊 (厚木) に撤収したとされています。

また、その他の航空隊でも任務により八丈島航空基地を経由地として使用したとされていますが、詳細は不詳です。

基地管理部隊はハッキリしていませんが、ここを原駐基地とする常設航空隊は置かれていませんで、臨時着陸場あるいは不時着陸場であったことから、横須賀鎮守府の管理の元、必要に応じて横須賀航空隊から所要の人員・機材が派出されたものと考えられます。 そして、昭和19年7月10付で関東航空隊 (乙航空隊、新編)、昭和19年10月15日付で第三航空艦隊、昭和20年6月1日付で八丈島警備隊が指定されており、少なくとも終戦時までは公式的には航空基地として存続しています。

なお、1944年 (昭和19年) の米軍史料では、八丈島の西側の海側、航空基地の北西及び南西側に新たな飛行場が建設中とされていますが、終戦直後の旧海軍史料では当該地区に新たな飛行場建設については何も記されておらず、終戦直後の終戦直後の航空写真でもそれらしいものは見受けられませんので、米軍の写真解析の誤りであったと考えられます。

終戦時には米軍に引き渡されたものの接収されること無く、昭和29年には新滑走路が1,200mの村営空港となり、次いで昭和37年に東京都所管の第三種空港となり、その後平成16年までに段階的に2,000mに延長されるなど、現在では東京都港湾局運営の地方管理空港となっています。 そして、旧飛行場地区は現在では市街地の中となっています。

ただし元来が外洋の離島であることから八丈島への飛行は気象条件付であることもあって、現在では定期便は全日空の羽田空港間のみで、これにフジドリームエアラインの不定期チャーター便などが運航されており、年間利用客数は20万人程度であるとされています。




  
八丈島と日本本土 (厚木) 及び南方諸島との位置関係。    現在の衛星写真から。
(元画像 : Google Earth より) 
 
旧海軍史料より昭和3年の航空機臨時着陸場用地買収時の位置図。   国土地理院の電子地図から基地付近。
   
終戦時の旧海軍史料より八丈島防備レイアウト図。    
   
1944年の米軍史料より八丈島軍事施設解析図。 滑走路は4本描かれております。    
 
終戦直後の旧海軍史料より八丈島航空基地のレイアウト図。 (上が北北西方向)   衛星写真による現在の状況。 滑走路地区は八丈島空港となっており、旧飛行場地区は市街地の真っただ中です。
(元画像 : Google Earth より)
   
1948年 (昭和24年) の米軍航空写真より。 滑走路はコンクリート舗装になっている様にも見え、また旧飛行場地区の状況も大戦中からかは不明です。    
   
    平成11年の航空路図誌より。



昭和4年撮影とされる当時の八丈島航空機臨時着陸場。
 
 






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最終更新 : 19/Mar/2023