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敷香航空基地 |
敷香航空基地は、戦前に日本の北方防衛のための前進作戦基地として樺太の上敷香に置かれました。 開設の時期や経緯などの詳細は不明ですが、昭和9年に天寧及び幌筵と共に設置計画が決められ、昭和12年度と翌13年度に基地整備予算が成立して、昭和13年度末までに完成するごとく進められたようです。
しかしながら、昭和16年8月の段階では航空基地として一応の概成はしているものの諸施設はまだ完備していなかったとされ、昭和18年1月の内令により第四十一航空基地隊が管理部隊に指定されていることから、これまでには基地としてほぼ完成していたものと考えられます。
本基地が使用され始めたのはアリューシャン作戦後の北方作戦からで、千島列島を含む周辺海域の哨戒などのための前進基地となり、七〇一空の陸攻などが使用したとされています。
終戦後は旧ソ連に占領された直後はしばらくは航空基地として使用されていませんでしたが、1947~48年以降になって元の旧海軍基地時代の滑走路とは全く別にジェット機用の滑走路1本を主体として大拡張され、極東における旧ソ連軍の代表的な航空基地の一つ、レオニドヴォ (Leonidovo)となりました。
しかしながら、冷戦終結後には現ロシア軍によって継続使用されることなく放棄され、現在ではそのうら寂しい姿を晒しています。
(写真収集中) | ||
最終更新 : 29/Jul/2018