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小禄航空基地 |
小禄航空基地は、昭和8年沖縄県島尻郡小禄村 (現沖縄県那覇市) の地に佐世保鎮守府所管の不時着陸場として建設されましたが、翌9年には日本航空輸送(株)の申請により使用を許可し、次いで10年には随時海軍が使用することを条件に逓信省が維持管理する飛行場とされ、これに伴い名称が 那覇飛行場 に変更となりました。
昭和15年には日中戦争による輸送便の増加により滑走路を1500mとする拡張が行われ、太平洋戦争開戦と共に南方方面への中継地、そして南西諸島の防備強化のための旧陸海軍機の本格的使用となりました。
(注) : 旧海軍の航空基地リストには、戦前整備の 022 小禄 の他、戦時中整備の 127 那覇 の2つが挙げられておりますが、おそらく後者は逓信省管理の当該飛行場を開戦後に旧海軍が本格的使用を始めた時に通信施設を強化したことにより重複記載になったものと考えられます。
これらのことから、昭和18年には再度逓信省から旧海軍に所管が変更され、名称も 小禄航空基地 となり、併せて基地の大規模な拡張が行われ、これの完成は翌19年9月頃であったとされています。
昭和18年1月に南西諸島所在の航空基地の管理部隊として南西諸島方面航空隊が指定されており、本基地に本部が置かれると共に、第二十五航空戦隊の偵察第三飛行隊小禄派遣隊が常駐しました。
しかしながら、19年10月からの空襲により所在全航空機と共に航空基地としての機能を喪失したまま、昭和20年4月の米軍侵攻により占領されました。
終戦後は米空軍基地として使用され、昭和27年には大規模な再整備が行われ、昭和37年からエア・アメリカ、次いで南西航空による民間機の運航が始まっています。
昭和47年の沖縄返還により第二種空港になったものの管理権は以前米軍にあり、昭和57年になって管理権は全面的に航空自衛隊に移管されました。 現在までに順次滑走路、施設の近代化拡張が行われ、航空法に定める国管理空港として民間航空及び陸・海・空自衛隊、県警、海上保安庁の航空部隊が共存しており、南西諸島における基幹的国際空港となっています。
1945年4月の米軍写真。 奥に見えるのが昭和19年建設途中で取り止め、放棄した与根航空基地 (予定) の滑走路跡 | 1945年3月空襲下の那覇市街及び小禄基地 |
最終更新 : 28/Apr/2019