解説 : 「一般計画要領書」について(その4)



 「造工資料」とは (続き)



近年、有料で配布されている「一般計画要領書」には次のようなことが「本書の評価」として書かれています。 先の『空母機動部隊』に書かれていたのとは若干、ニュアンスが違います、クレームをつけられないように後から書かれたこの「評価」も以下に記載しておきます。


「 本書「一般計画要領書」は空襲の激化に備えて昭和18年4月に艦政本部造船部で、各種艦艇の計画数値と現状を要約したものです。 ・・・・戦艦と水上機母艦、潜水母艦はありませんが、他の艦種は全て現存します。 欠如部分は軍縮条約などの違反事項が表面化することを恐れて処分されたのでしょう。 ・・・・潜水艦は潜水艦部担当のためありません。」


潜水艦はここで公開されているような一覧表的な「一般計画要領書」は作成されなかったと思われますが、上記の「評価」によれば同じ艦政本部でありながら造船部では空襲に備えて要約したものを作成し、潜水艦部は作成しなかったというのは何か理屈が合わないというか不自然な感じがするのですが・・・・

さらに、「欠如部分は・・・・処分されたのでしょう」 と書かれていますが、処分するのなら全てを処分するはずで、他を残して「戦艦」と「母艦」だけを処分したというのもおかしな、辻つまの合わない話です。

いずれにしろ、潜水艦の「一般計画要領書」は本来の形、個艦あるいは艦型、で残されていますが、資料保存の意味ではこれの余分を一式でも2組でも作成しておけばよいから、改めて水上艦のように一覧表的なものを作成する必要は認められません。

水上艦も同様に、個艦あるいは艦型の、本来の形式の一般計画要領書を余分に一式なり2組でも3組でも作成しておけばよいことであり、既に述べたように大型艦の「砲熕兵器」や大型の個艦の実際の航続距離などを空欄にしたり、「用済後還納」とか「部外複写を許さず」などと表紙に記載していることからも、作成の意図は部外、おそらく民間造船所への貸し出しではないかという考えを捨てきれないのですが、どなたかご存知の方はおられないでしょうか。



なお、「戦艦」と「水上機・潜水・飛行艇母艦」はないと述べられていますが、この資料の配布を受けた佐世保船舶で、原典を書き直したと思われる複製の中に、「水上機・潜水・飛行艇母艦」の表紙だけが残っているため、これが存在していたとの考えを捨てきれません。

また、「戦艦」がないのは、これら一覧表的な資料を貸し出すための何らかの対象に入らないため作成の必要がなかったとも考えられます。 潜水艦も同様に対象外だったのでしょう。

「戦艦」とこの「母艦」」は配布目録には記載されていません。 したがって、これらは配布されなかったと考えるのが妥当ですが、逆に配布目録にない場合でも配布先の希望による場合とか、限定された所だけへの配布ということで、これら「母艦」のような艦艇を戦後、建造しない造船所には未配布であったかもしれません。

その意味で佐世保船舶はこの「母艦」の配布の有無を問い合わせられて、担当の段階では配布を希望していたが、実際には配布されなかったことも考えられます。 あるいは三井玉野などが配布を受けているかもしれませんが、今となっては調査方法がありません。



潜水艦の「一般計画要領書」は個艦あるいは個々の艦型の、本来の形式の姿で残されていますが、そのページ数は500枚を超えています。

これらはおそらく神戸の三菱と川崎、それから佐世保船舶が配布を希望したと思われますが、佐世保の分には送付に伴う造工の配布文書は添付されていませんでした。 これは添付されなかったのか、紛失したのかは分かりません。

ここで、「なぜ佐世保船舶に潜水艦の一般計画要領書が・・」と疑問を持たれる方も居られるでしょうが、佐世保工廠では終戦まで波号潜水艦の建造を行っていました。 そのためこれら潜水艦の設計・建造・艤装関係の技術者の多くは戦後も引き続いて佐世保船舶に勤務していました。 同社も昭和30年代までは潜水艦建造についての自信があり、海自の潜水艦建造に参加を希望していたと思われ、それを示すように社内で少なくとも小型潜水艦艇3種の自主設計、たとえば71号艦よりもやや大きい潜水艇などの設計がなされていました。

また、逆にこのような潜水艦の「一般計画要領書」の配布を受けていたことは、同社が潜水艦建造の意思があったことを示すものとも言えるでしょう。 おそらく政治面の圧力により潜水艦建造は2社でよいとして建造への参加は不要とされ、除外されたのではないかと思われます。



以上で終わりますが、これまで述べてたことについては既にご承知の方々も居られることと思いますので、誤りや疑問点のあるときはご教示をお願いします。





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最終更新 : 04/Dec/2008