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『艦船対空砲装の研究』 (正・続)




ここで公開しますのは、昭和18年に横須賀海軍砲術学校が艦艇の対空兵装についてその能力の現状分析と今後のあるべき兵装を研修した成果を取り纏めて部内に配布したもので、艦艇全般についてと、駆逐艦及び高性能大型機銃についての続編の2つです。

内容は、開戦前及び遅くとも昭和18年の早い時期あるいは17年までの戦訓データに基づいていると考えられますが、これを踏まえて大変に冷静で詳細な分析を行っています。

本資料をお読みいただければ、戦後になって元海軍技術士官を主体とする人達がモノしてきたもの、あるいはそれを読んだ研究者達が言ってきたこととはかなり異なっていることがお判りいただけるでしょう。  

砲術に携わる現場の用兵者として、なぜこの様な戦闘様相となる戦を始めたのか、そして海軍の造兵部門の技術レベルの何という低さか、というため息が聞こえてくるようですし、そして少なくともまともな対空戦闘ができるような兵装は出来はしないというあきらめの声のように思えます。 そして、戦後になって悪者にされるのがその用兵者であってみれば。

これを要するに、日本として技術も工業力も、そして国民性のレベルからも最も不得意とする海上航空戦力をもって、単なる据えもの切りに過ぎなかった真珠湾攻撃で、そして引き続きミッドウェー海戦に到るまでの実に中途半端な戦いで対米戦を始めたのか、ということであり、まともな対空兵装どころか、真空管1本、パッキン1枚さえまともなものが作れなかった技術レベルでもって現場は戦いを続けなければならなかった、ということです。

これに対して、自己の命をかける現場の用兵者はその “使えるもので全力を尽くす” という本分を実に誠実に守ったと言えるのではないでしょうか。

貴重なデータと共に、じっくりとこの史料の言わんとすることをお楽しみいただければと思います。、

なお、本史料の取り纏めは「北村委員」となっておりますが、今に残る旧海軍の他の史料などから、おそらく北村肇海軍少佐(兵学校55期)と推測されるものの、確たるところは不明です。

両史料を PDF形式にてそれぞれの全文を公開 いたしますが、ご存じのとおりのネット事情により残念ながら印刷及び加工は不可の設定とし、また当サイトのロゴ又は透かしを入れております。  もし研究者の方で印刷可能バージョンなどのご希望がございましたら掲示板又はメールなどでお聞かせ下されば考慮いたします。

勿論、公開いたしますファイルは、このままの形でしたら再配布などはご自由になされて結構です。




「艦船対空砲装の研究」   「艦船対空砲装の研究」 (続)
 
(2.8Mバイト)   (0.4Mバイト)






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 最終更新 : 16/Feb/2020