史料展示室 HPトップ頁へ 史料展示室メニューへ



『エルトグルル号』 (駐日トルコ大使館 昭和12年)



ここで公開しますのは、現在も残る 「エルトグルル号」 の弔魂碑が昭和12年に建設されたのを記念して、当時の駐日トルコ大使館が作成したものです。

原本は日本語、トルコ語及び関係付図・写真集の3部を1冊にしたもので、同号の日本派遣・遭難に始まり弔魂碑の建設に至るまでの状況が簡潔に纏められています。

冊子の右側右開きが日本語の部、左側左開きがトルコ語の部で、その中間に共通の付図及び写真集となっていますので、今回はこれをそれぞれに分けた形でディジタル・ファイル化してご覧いただきます。

申し上げるまでもなく 「エルトグルル号」 は明治23年9月訪日の帰途、荒天のため紀伊大島樫野崎で遭難、座礁沈没し乗艦していた司令官及び艦長を始めとする多くの人命が失われましたが、僅かに生き残った乗員に対する大島町住民あげての献身的な救助活動が今日までトルコと日本との友好に繋がる美談となったことは有名な出来事です。

現在でもトルコ及びトルコ国民が同国の隅々に至るまで非常な親日であることは、120年以上も前のこの救助活動にかかわるものにその端を発していると言っても過言ではありません。

先日、安倍首相がトルコを訪問し大歓迎を受け、また原子力を始めとする日系企業との経済的な繋がりなどもその現れですし、また1985年のテヘラン事件におけるトルコ航空機による215人の邦人救出などはトルコの恩返しと言える有名な出来事です。

本史料は、随分前にコピーをとっておいたものをディジタル化したものですが、当時の旧式タイプの複写機によるものであるため写真ページがあまり綺麗でないのが残念ですが、あまり一般には知られてはおらず、かつトルコ大使館が作成したものということで、貴重な史料と考えます。

本史料はいくつかの大学附属図書館などに収蔵されているようですので、もし綺麗な写真などをご覧になりたい方がおられましたら、お近くのところを検索してみて下さい。

なお、PDF形式にてそれぞれの全ページを公開 いたしますが、ご存じのとおりのネット事情により、大変残念ながら印刷及び加工については不可の設定としており、また各頁の上下にロゴを入れています。

また、本史料の著者・編者などは不明であり、かつネット公開に当たり現在のトルコ大使館などに事前連絡・確認などはしておりません。 もし本史料をここでご紹介することに対して、正当な権利を有する向きからの異議などがありました場合には、直ちにサイトより削除する前提であることをご了承下さい。




『日本語の部』 『トルコ語の部』 『付図・写真集の部』
(2.1Mバイト) (2.0Mバイト) (18.0Mバイト)






史料展示室メニューへ 頁トップへ

 最終更新 : 17/Nov/2013