この写真集は、旧海軍の 海軍省海軍文庫に所蔵 されていたものですが、戦後になって再装丁されているために、元々の形態がどのようなものであったのかは残念ながら解りません。
特に タイトルが 『函館戦争軍艦集』 となっているは全くの誤りで、内容はご覧いただいてお判りのように明治初〜中期の旧海軍艦艇写真アルバムであり、かつ型式も既に公開中の 『大日本帝国軍艦』 と同一のものです。 何故このようなタイトルが付けられてしまっているのかは不明でが、おそらく再装丁の際の何らかの手違いによるものではないかと思われます。 したがいまして、本サイトでの公開にあたりタイトルを
『大日本帝国軍艦 2』 としております。
本史料はアルバム型式の写真集で、32枚 (他に未使用8枚、計40枚) の台紙に、表裏各面の上部に艦艇写真、下部に要目表が貼られており、全部で艦艇58頁、その他3頁の計61頁のものです。
収録されている写真は、ほとんどのものは既に国内の刊行物に広く掲載されており、珍しいものはほとんどありません が、旧海軍公式写真の オリジナル・プリントであり、かつ要目表が一緒に添付 された写真集を構成していることを考えると、明治10年代から同20年代にかけての旧海軍初期の艦艇の姿を今に伝える大変貴重なものであると言えます。
私のディジタル・コレクションでは保存用は600dpiでスキャンしてありますが、オリジナル・プリントが貼り付けてあるためご覧のように経年変化による退色が激しく、1種類の方法ではその画像の忠実な再現が不可能であったことから、カラー版、白黒版、退色フィルター処理白黒版の3種類を作成しています。 その内のカラー版のみをここでご紹介します。
ただし、 『大日本帝国軍艦』 に含まれているものと同一のもの25隻 のうち、そちらの方が写真の状態が良好である 20隻 については、重複を避けるため艦艇名のみを掲載して写真は省略 して空欄としてあります。 当該艦については既に公開済みの 『大日本帝国軍艦』 の頁を参照して下さい。
1頁毎の全面カラー版では、台紙の各頁が変形して曲がったままの癖が付いていますが、原本の装丁を痛めないために無理に平に伸ばして複写することはしなかったためです。 このため、綺麗な画像とは言い難いところがありますが、致し方ないものとしてご了解下さい。
各欄下段の 「拡大写真」 の文字部分をダブルクリックすると、それぞれのものを別ウィンドウで拡大表示するようになっています。 この拡大表示では一人歩き防止のため透かしロゴが入れてありますのでご了承下さい。 なお、出版及び研究などで透かしロゴの入っていないオリジナルサイズのもののご要望がございましたら、ご連絡いただければ考慮いたします。
『 千代田形 』 |
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『 富士山 』 |
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『 東 』 |
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拡大写真 |
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『 金 剛 』 |
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『 比 叡 』 |
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『 磐 城 』 |
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拡大写真 |
『 筑 紫 』 |
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『 館 山 』 |
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『 石 川 』 |
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拡大写真 |
『 第七号水雷艇 』 |
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( 終 ) |
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拡大写真 |
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(注1) : 「第一号水雷艇」 及び 「第十号水雷艇」 の要目表のタイトルがそれぞれ 「第二号水雷艇」 及び 「第五号水雷艇」 と記されています、写真は標記のとおりです。 ただし両者は同型であり、要目表の記載事項は同じです。
(注2) : 「浅間」 「石川」 「第十五号水雷艇」 及び 「第二十一号水雷艇」 については原本に写真が貼附されていませんが、当初から無かったものと思われます。
(注3) : 「吉野」 の2頁及び 「第十八号水雷艇」 「第七号水雷艇」 については写真のみであり艦名等の表記はありません、上記のとおりの艦であることを確認しております。
(注4) : この他に本アルバムには機雷爆破の写真2枚及び徳川家御座船 「天地丸」 の写真1枚が貼附されてます。 ご参考のためにその 「天地丸」
をご紹介します。
最終更新 : 05/Feb/2012