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浦戸航空基地



浦戸航空基地は、大戦末期に大量に採用した第14期の甲種飛行予科練習生を収容、教育するために、高知県長岡郡長浜町池 (現在の高知市池) の山間の地に建設され、昭和19年11月1日に浦戸海軍航空隊の開隊に伴い設置されたものです。  

したがって本基地は 「航空基地」 とは言いながら、予科練教育が担当であるため、滑走路を含む飛行場施設は当初から設けられませんでした。

浦戸航空隊の状況の概略は次のとおりです。

昭和19年11月 1日
浦戸航空隊開隊
    同 第十九連合航空隊に編入、練習航空隊に指定され予科練教育を担当
昭和20年 3月 1日 第二十一連合航空隊に編入
  同   6月 1日 予科練教育凍結
  同   7月15日 解隊

この11月1日の開隊日においても基地施設はほとんど出来ておらず、開隊と同時に松山航空隊から甲飛第14期生約千名が、続いて11月28日には甲飛第15期生が三重航空隊奈良分遣隊から転入してきたものの、正規の教務は行われずに基地施設の建設に当たり、教務が始まったのは12月に入ってからとされています。

そして、昭和20年4月1日には、甲飛第16期生が入隊しておりますが、昭和20年6月1日には練習員教育は実質的に停止となり、練習員は退避壕の建設・強化の作業や米軍上陸に備えての陸戦訓練となったとされて、航空隊そのものは7月15日に解隊されています。

この浦戸航空隊の解体の前に、練習員などは 「土佐湾沿岸防備隊」 に組み込まれたとするものがネットや出版物でみられますが、この 「土佐湾沿岸防備隊」 という名称は残された旧海軍史料にはなく、また終戦時に連合軍に対する引渡しに当たった 「第23突撃隊」 や 「呉第11特別陸戦隊」 との関係も不詳です。

浦戸航空基地は、終戦後は順次隊舎などの施設が解隊撤去され、敷地は民間に払い下げられて、一部は農耕地などになったとされています。

現在では、高知医療センターや高知大学の敷地、マンションなどになっており、衛星写真を見る限りでは予科練の航空基地跡を窺わせるものはほとんど見受けられませんが、山中に掘られた塹壕などのいくつかは存在するようです。

因みに、 本基地は浦戸航空隊解隊後も 「浦戸航空基地」 と呼び、浦戸湾入り口対岸の有名な桂浜などがある浦戸に置かれていた第23突撃隊の 「浦戸基地」 とは区別されていますのでご注意下さい。



  
1945版の米軍地図より。    現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は陸上機、緑色は水上機、赤色は水陸両用、桃色は予科練教育です。
(元画像 : Google Earth より) 
 
1946年版の米軍地図より。 建物などはまだ予科練当時のものが全て描かれています。   国土地理院の電子地図から当該部分。
   
終戦時の旧海軍史料より基地施設のレイアウト図。 (上が北東方向)
元々の印刷が悪いことと、ゴミ取りの途中ですので、多少見難いところがあります。
   
 
浦戸航空基地建設前の航空写真より。 (撮影時期不詳)   衛星写真による現在の状況。 真上からでは開けているように見えますが、ストリート・ビューで観れる範囲でもいまだに山の中の風景 (^_^)
(元画像 : Google Earth より)
 
1948年の米軍写真より。 木造の兵舎・講堂などはかなり撤去されておりますが、まだ本部庁舎などは残っています。   昭和50年の国土地理院の航空写真より。 旧海軍時代の建物は全て撤去され、ほぼ農地化されていますが、一部は工場らしき建物群や住宅地などになっています。



浦戸航空隊第15分隊(偵察)記念写真 (昭和20年4月)
     
 






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最終更新 : 19/Dec/2021