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観音寺航空基地



観音寺航空基地は、昭和20年3月に国分航空隊が本基地に移転して観音寺航空隊と改称したことに始まります。 その開隊以降の状況の概略は次のとおりです。  

昭和20年 3月 1日
    同
    同
昭和20年 5月 5日
    同
 国分航空隊が移転し観音寺航空隊と改称
 第十二連合航空隊に編入
 練習航空隊に指定され、陸上練習機操縦教程を担当
 練習航空隊の指定を解く
 第五航空艦隊に編入

本基地は、終戦まで九三式中練による特攻訓練に明け暮れたとされていますが、基地施設そのものの詳細については不明です。

終戦後は飛行場として使用されることなく全敷地は民間に払い下げられて農耕地となりました。 現在では宅地化の波もみられますが基本的には田園風景がそのまま広がっており、かつての航空基地を思わせるものは何も残っていません。



  
終戦時の旧海軍史料より基地位置図    現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は陸上機、緑色は水上機、赤色は両用です。
( 元画像 : Google Earth より ) 
 
古い海自部内資料より基地のラフ・スケッチです。   現在の状況地図。 敷地周辺はまだ農地が広がっています。
    (周辺広域地図表示)
 
終戦時の旧海軍史料より基地施設のレイアウト図。 (上が北東方向)   国土地理院の2万5千分の1地図から当該部分。
 
1948年の米軍撮影写真より。 滑走路及び誘導路の跡はまだ判別できます。   衛星写真による現在の状況。 ここに航空基地があったことを思わせるものは何も見当たりません。
( Google Earth より )



 
開隊式   訓練中のスナップ (撮影時期不詳)
    
飛行場地区を望む (撮影時期不詳)    






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最終更新 : 29/Apr/2018