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ブイン航空基地 (付:ブイン水上機基地、トリポイル航空基地)




 ブイン航空基地


ブイン航空基地は、ブーゲンビル島南部のカヒリ (Kahili) に置かれていました。 したがって、一般的には元の付近の地名からここを カヒリ飛行場 (Kahili Airfield) と呼んでいます。

太平洋戦争開戦後の昭和17年中頃になって日本軍がブーゲンビル島を占領後に旧海軍の手によって建設されたとされていますが、建設以前の状況については不詳で、全く何もないところに飛行場を建設したのか、それなりの平地があったのかなどは判りません。

ただし、サンゴ礁などを砕いて土に混ぜたものを敷き詰めて転圧しただけでコンクリート舗装などされていない滑走路1本 (1400m x 90m) の他、誘導路や掩体壕などはあったものの、格納庫などは無かったとされています。  また、その他の基地施設の状況などについても不詳です。

そして第八艦隊司令部が昭和17年7月に重巡 「鳥海」 からラバウルの陸上に移った後、昭和18年7月にブインに移ったとされていますが、ブインのどこに置かれたのかなど、正確な場所、施設などは不明です。

米軍によるガダルカナル島占領以降のソロモン諸島を巡る戦いでは、最前線の基地として活躍し、201空、204空、582空などや空母 「飛鷹」 「龍鳳」 の搭載機などが進出して作戦に従事しましたが、固有の航空隊などは置かれませんでした。 昭和18年4月の 「い号作戦」 当時は、100機を超える戦闘機や艦爆機が集中したとされています。

主としてガダルカナル島ヘンダーソン航空基地からの航空機により度重なる空襲を受け、昭和18年暮れ頃からは大規模な作戦が行えない状態になったとされており、また同年11月の米軍のブーゲンビル島トロキナに上陸作戦以降、連合軍による同島侵攻作戦が継続されましたが、結局、日本軍の抵抗により本基地を含むブーゲンビル島全体が連合軍に占領されることは無く、昭和20年8月の終戦により同年9月8日に連合軍に降伏、引き渡されています。

降伏後は豪州陸軍により航空基地として再利用されることなく全てが解体されて放置され、1960年代頃までは旧海軍機などの残骸が残されていましたが、その後ほとんどが撤去され、現在では衛星写真を見る限りでは、かつての航空基地跡を偲ばせるものは何もなく、ジャングルに帰っているようです。



    
     現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は陸上機、緑色は水上機、赤色は両用です。
( 元画像 : Google Earth より ) 
  
1942年版の米軍地図より    1979年版のTPC (Tactical Pilotage Chart) よりブイン基地周辺
 
1945年の米軍史料より   現在の衛星写真からブイン航空基地跡
( 元画像 : Google Earth より )
   
上の地図の元になったと思われる米軍写真より    
 
米軍公式戦史より1943年の爆撃評価図    
 
1943年の米軍写真より
(Pacificwrecks.com より引用)
   
 
1943年の米軍写真より
(Pacificwrecks.com より引用)
   



 
1945年の米軍史料より   同左
 
同上   同左
 
1943年の米軍写真より
(Pacificwrecks.com より引用)
  1945年の米軍史料より
(Pacificwrecks.com より引用)
出撃準備中の 「瑞鶴」 艦戦隊
同上




 ブイン水上機基地


ブイン水上機基地は、ブイン山東側の海岸に設けられていたとされ、旧海軍関係者の話の中にもよく出てくるところですが、残念ながら衛星写真を見る限りでは当時とは海岸線などの地形がかなり変わっており、旧海軍史料をもってしても場所の特定は困難です。

当時の写真もかつては本基地における撮影とされていたものが、現在ではショートランドやラバウルとされるものとなっているようです。



 
1944年の米軍史料よりケゼリン島全景写真   衛星写真による現在のブイン水上機基地推定位置付近
( 元画像 : Google Earth より )
   
    同上拡大写真
( 元画像 : Google Earth より )



( 写真収集中 )    
     


 
 トリポイル航空基地


トリポイル航空基地はブーゲンビル島南部の現在のブイン市街の北5キロのところにあった航空基地で、ブイン航空基地の分散用として旧海軍によって建設され、昭和17年8〜9月頃には滑走路などが概成したとされており、一般には近傍の地名から 「カーラ飛行場」 (Kara Airfield) とも呼ばれています。

ただし、転圧した滑走路1本(1200m x 85m) だけで、結局格納庫などは建設されず、航空機は滑走路脇に露天駐機していました。

戦時中は204空の零戦などが使用したとされていますが、連合軍の度重なる空襲を受けたこともあって、昭和18年以降は航空基地としてほとんど機能しなかったとされています。

終戦後は豪州空軍(RAAF)により使用された後、地方空港たる 「ブイン空港」 (Buin Airport) となりましたが、1988年に生起したブーゲンビル革命軍 (BRA) による独立運動、即ち 「ブーゲンビル危機」 によって翌98年閉鎖となり、現在に至るも放置状態に近いようですが、それでもチャーター便の小型機などの離着陸に使用されているようです。

なお、本飛行場は元々が旧海軍によって建設されたものであり、また民間の 「ブイン空港」 と呼ばれたことから、ここが上記の旧海軍の 「ブイン航空基地」 と思う人もおられるようですが、全く別の基地ですのでご注意を。



 
1943年の米軍史料よりトリポイル航空基地のレイアウト
( Pacificwrecks.com より引用 )
  衛星写真による現在のトリポイル航空基地 (ブイン空港 )跡
( 元画像 : Google Earth より )



( 写真収集中 )    
     


 





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最終更新 : 25/Jul/2021