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ミレ航空基地 |
ミレ航空基地は、マーシャル諸島のミリ環礁 (Mili Atoll) の南西端にある同環礁最大のミリ島 (Mili Island) に所在する陸上基地です。
ミリ環礁及びミリ島は、終戦までの日本統治時代には 「ミレ」 と称されており、このため本基地の正式名称も 「ミレ」 です。
日本はヤルート環礁を含むマーシャル諸島を第1次大戦中の大正3年に占領、同8年に委任統治領となりましたが、昭和142年に横浜航空隊及び横須賀防備戦隊による南洋諸島の航空適地調査が行われ、これに基づきルオット、マロエラップ、ウオッゼの3ヶ所が最適地として選定されてそれぞれ建設が開始されました。
本基地は、昭和16年になってこの3基地に加え更に本基地建設が追加されたもので、昭和16年春に着工し、昭和17年8月に概成 (一説には18年1月完成) したとされています。
昭和17年末頃に第七〇三空 (陸攻、旧千歳空)、18年初頭頃に第二五二空 (艦戦)、18年末頃に第七五二空 (陸攻、旧第一空)、19年初頭頃に第五五二航空隊 (艦爆) などの一部・派遣隊が配備されたとされていますが、これらについては全てその詳細は不詳です。
ただし、18年6月からは米軍機の空襲が始まっており、これ以降の航空基地としての運用状況などは不明です。
なお、ミリ環礁には第6根拠地隊の第66警備隊 (本部:ミリ島) などの海軍部隊の約2900名が所在し、昭和18年9月には陸軍歩兵第122連隊の第1大隊を主力とする部隊 (通称:石井部隊、後の南洋第一支隊第一大隊) が配置され66警の指揮下に置かれてこれらをもってミレ防備部隊が編成されましたが、更には同年12月更に陸軍の内南洋方面部隊の甲支隊第三大隊を主力とする兵力が追加されました。 この結果陸・海合わせて約5400名ほどであったとされています。
終戦に伴い同環礁は米国に降伏、占領され、1947年には米国の信託統治領となりましたが、1986年にマーシャル諸島共和国のとして独立し、ミリもその一部となって現在に至っています。
陸上基地は、 現在では民間のミリ空港 (Mili Airport) となり、マーシャル諸島航空の小型機が運航されているようですが、衛星写真を見る限りでは芝とされる滑走路の状態はとても良好とは言えず、また空港施設なども特段見当たらないようです。
1943年の米軍史料よりミリ島全景写真 | ||
1954年版の米軍戦史より空襲下のミレ基地 | 同 左 |
最終更新 : 17/Mar/2019