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マロエラップ航空基地



マロエラップ航空基地は、マーシャル諸島のマロエラップ環礁 (Maloelap Atoll) の南西端にある同環礁最大のタロア島 (Tarpa Island) に所在する陸上基地です。

本基地の正式名称は 「マロエラップ」 ですが、海軍部内においてもその所在地名から通称 「タロア」 と呼ばれていました。

日本はヤルート環礁を含むマーシャル諸島を第1次大戦中の大正3年に占領、同8年に委任統治領となりましたが、昭和142年に横浜航空隊及び横須賀防備戦隊による南洋諸島の航空適地調査が行われ、これに基づきルオット、ウオッゼ及びマロエラップの3ヶ所が最適地として選定されました。

本基地は、昭和14年秋に着工され、昭和16年3月に概成 (一説には18年1月完成) したとされています。

昭和16年10月に千歳航空隊 (陸攻・艦戦、後の七〇三空) 及び第一航空隊 (陸攻、後の七五二空) の一部が進出しましたが、17年12月に千空が戦力を消耗し再建のため内地帰還となり、代わって第 七五五空 (陸攻、旧元山空) の一部が進出、18年2月には第二五二空 (艦戦) などが進出し、本基地から作戦したとされたとされています。 

ただし、太平洋戦争開戦後は、本基地を含めたマーシャル諸島所在の航空基地は作戦の推移・状況により頻繁に航空機の配置変更が行われ、またソロモン方面などへの中継基地ともなりましたので、正確な配備・展開状況については不詳です。

本基地への配備及び作戦状況などについて関心のある方は、関係部隊の戦時日誌、戦闘詳報及び飛行隊戦闘行動調書などを丹念に拾っていただくとよろしいかと思います。

昭和19年2月には、同基地に残った七五五空及び二五二空の搭乗員などが残存する陸攻3機に分乗して内地に帰還したとされ、以後終戦まで本基地には航空機の配備・運用は無かったとされています。

なお、マロエラップ環礁には第6根拠地隊の第52警備隊 (本部:タロア島、後に63警備隊に改称) などの海軍部隊が所在し、昭和18年9月には陸軍の南洋第一支隊第七中隊及び海上機動第一旅団第二大隊第六中隊が配置され63警の指揮下に置かれ、これらをもってマロエラップ防備部隊が編成されました。 この結果陸・海合わせて約3100名ほどであったとされています。

終戦に伴い同環礁は米国に降伏、占領され、1947年には米国の信託統治領となりましたが、1986年にマーシャル諸島共和国のとして独立し、マロエラップもその一部となって現在に至っています。

陸上基地は、米軍占領後に再整備され、元のA滑走路1本を中心として改修されました。 共和国として独立後は民間のマロエラップ空港 (Maloelap Airport) となり、現在もマーシャル諸島航空の小型機が運航されているようですが、衛星写真を見る限りでは芝とされる滑走路の状態はとても良好とは言えず、また空港施設なども特段見当たらないようです。



  
昭和13年の海図No.2103よりマロエラップ環礁位置図    現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は陸上機、緑色は水上機、赤色は両用です。
( 元画像 : Google Earth より ) 
 
1943年の米軍史料よりマロエラップ環礁全体図   現在の衛星写真からマロエラップ環礁全体
( 元画像 : Google Earth より )
 
1943年の米軍史料よりタロア島全景写真   衛星写真による現在のタロア島の状況
( 元画像 : Google Earth より )
   
1943年の米軍史料よりタロア島のレイアウト図    
 
1943年の米軍史料より基地全景写真   同上、基地部分の拡大。 A滑走路は現在でも民間小型機が使用しているようですが、あまり状態は良くないようです。 B滑走路跡は判別できません。
( 元画像 : Google Earth より )
   
昭和16年頃のタロア島防備要領図
(戦史叢書より)
   



昭和16年5月基地概成直後のタロア島全景写真 (戦史叢書より)
     
     






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最終更新 : 17/Mar/2019