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占守航空基地 (第一、第二) |
(画像クリックで占守島及び幌筵島北部所在の旧陸海軍航空基地の概要ページを表示します)
第一占守航空基地は通称 「片岡基地 (飛行場)」 と呼ばれ、千島列島最北端の占守島片岡の台地に置かれ、V字型に交差する2本の滑走路と大小格納庫、修理施設、魚雷整備場、及び多数の擁護壁 (Revetment) など極めて充実した設備を有しており、陸軍との協同使用とされていました。
本基地は旧海軍の航空基地のリスト上では開戦後に設置されたとされていますが、ここを原駐基地とする航空隊はなく前進作戦基地として終始したこともあって、旧海軍の関係史料もほとんどなく、詳しい経緯やその後の運用状況などについては不詳です。
しかしながら、大戦中は五三一空、二〇三空 (元厚木空) などが進出して作戦を実施した他、東北空が飛行隊を派遣して作戦状況により使用するなど、防空、哨戒及び船団護衛等の任務のための基地として機能したとされていますが、本基地を原駐基地とする飛行隊はありません。
なお、昭和19年2月に第二占守及び第一〜第三幌筵基地は第四十一航空基地隊が、次いで10月には第十二航空艦隊が管理部隊に指定されています。
現在知られている基地のレイアウトなどは1951年に米軍が作成した1945年当時とされるデータしか無く、旧海軍時代の状況については1944年撮影とされる基地全体写真が1枚のみで、残念ながらその詳細は不明です。
終戦直後に旧ソ連軍の千島・樺太侵攻により占守島は戦闘後に占領され、本基地も旧陸軍の三好野飛行場と共に使用されましたが、1961年の米軍地図では占守島にあった旧陸海軍の航空基地の内で本基地のみはまだ運用されていたとされているものの、その後 (おそらく旧ソ連崩壊時) 放棄されたようです。
衛星写真を見る限りでは、現在でも放置時の姿をほぼそのまま保っているようです。
( 写真収集中 ) | ||
第二占守航空基地は通称 「別飛水上機基地」 とも呼ばれ、第一占守航空基地の北東約4km、別飛沼南西端の湖畔に置かれており、旧陸軍の潮見第二飛行場 (通称 「別飛飛行場」) が隣接しています。
遅くとも昭和18年までに建設され、キスカ島から戻った四五二空 (元五空) など主として哨戒任務のために進駐する水上機が前進作戦基地として使用しましたが、ここを原駐基地とする飛行隊はありませんでした。
旧ソ連占領後はソ連軍によって隣接する潮見第二飛行場と共に何らかの形で使われたようですが、遅くとも1948年までには放棄されたようです。 湖はもっと奥まで広がっていましたが現在では大きく後退して基地周辺は砂地が広がっており、これもその原因の一つであったのかもしれません。
一説によると、別飛川にダムが建設されてその貯水により別飛沼が拡張したことにより旧海軍の水上機基地が置かれたとするものがありますが、現在の衛星写真で見る限りそのダムの痕跡は見あたらず、その真偽は不明です。
衛星写真で見る限りでは、現在では当時の施設などは全く、僅かに元は湖底だった砂地との境目に水上機用の擁護壁 (Revetment) 跡が数カ所残されているようだけのようです。
( 写真収集中 ) | ||
最終更新 : 27/May/2018