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ウオッゼ航空基地 |
ウオッゼ航空基地は、マーシャル諸島のウオッゼ環礁 (Wotje Atoll) の東端にある同環礁最大のウオッゼ島 (Wotje Island) に所在する陸上及び水上の両用基地です。
ウオッゼ (Wotje) は環礁名及び島名として一般的に使われておりますが、中には ウォッゼ、ウォッジェ あるいは ウォッチェ と記されているものもあります。 ただし、旧海軍における航空基地名としては ウオッゼ が正式名称です。
日本はウオッゼ環礁を含むマーシャル諸島を第1次大戦中の大正3年に占領、同8年に委任統治領となりましたが、昭和14年に横須賀航空隊及び同防備隊によって同方面に対する本格的な航空基地適地調査が行われ、この調査結果に基づきクェゼリン、マロエラップ、及びヤルートと共に、ウオッゼ島にも水陸両用の航空基地建設が決定されました。
そして、昭和15年5月から水上基地が、同じく同年秋から陸上基地の建設が始まり、前者は昭和16年4月に、後者は同年5月に概成したとされています。 ただし、いずれも正確な期日は不詳です。
航空隊の常駐などはないものの、昭和16年末頃から少数機の派遣隊などが使用していたようですが、詳細は不明です。 昭和18年11〜12月に第24航空戦隊麾下の第802航空隊、第531航空隊及び第552航空隊の一部・残存が配備されましたが、米軍の空襲などにより損耗、搭乗員の一部は後方基地に空輸さたものの、残された搭乗員・地上員及び航空廠の支所・分工場の人員などは昭和19年2月頃にそのまま第64警備隊に編入されたとされています。
ウオッゼ環礁には昭和16年10月に第6根拠地隊の第53警備隊 (翌17年4月第64警備隊に改編) が進出した他、施設部などの海軍部隊が所在し、昭和18年11月には陸軍歩兵第122連隊の約1個大隊が防備のために進出し、昭和19年3月時点で陸海軍・軍属の合計3100名とされています。
終戦に伴い、戦死・餓死を除く1074名が米軍に降伏、同環礁は米国に占領され、1947年には米国の信託統治領となりましたが、1986年にマーシャル諸島共和国として独立し現在に至っています。
陸上基地は米軍占領後に整備されて未舗装の滑走路一本となり、その後ほぼ放置状態となったと考えられますが、現在でも民間小型機による限定使用がなされているようです。
水上基地は米軍占領後に放棄されたようですが、現在でも大艇用のランプが残されています。
1943年末の米軍空襲時のウオッゼ島 (米陸軍戦史より) | ||
同上の別写真 (米海兵隊戦史より) | ||
1943年の空襲前の偵察写真によるウオッゼ島 (1943年の米軍史料より) | 同 左 | |
1943年末の米艦載機空襲時のウオッゼ島 (米海兵隊戦史より) | 同 左 | |
同 上 | 陸上基地エプロン地区。 艦戦x2機が駐機しています。 (同左) | |
1944年米陸軍機空襲時 (米陸軍戦史より) | 同 左 |
最終更新 : 01/Aug/2021