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パガン航空基地



パガン航空基地は、北部マリアナ列島、サイパン島から北約325kmにあるパガン島 (Pagan Island) に所在する陸上基地です。

同基地は、パガン島が日本の委任統治領となって以降の入植者の農業用の干し場とされていた場所を、昭和12年に拡張工事を行って不時着陸場兼中継基地として建設されたもので、昭和16年に完成したとされています。 そして太平洋戦争中も特に拡張工事などは行われなかったようです。

1943年の米潜水艦による偵察結果の写真では格納庫x1棟の存在が確認されていますが、これが何時建築されたのかなどは不明です。

戦時中は、サイパン・タラワやグァムを初めとする南方方面への展開時などにおいて当初計画通り中継基地及び不時着陸場として使用されましたが、同基地への航空部隊の進駐・展開はありませんでした。

昭和18年5月1日~4日に、第25航空戦隊第七〇一航空隊の陸攻x45機が木更津から南方へ展開する途中で、その内の3機が同基地を中継としたことが知られています。 また、昭和19年6月22日に、横須賀航空隊硫黄島派遣陸攻隊の陸攻x3機をもってサイパンに対する夜間攻撃を行った際、1機が天候不良により本基地に不時着、燃料補給及び搭乗員 (詳細不明) を収容をした後帰投しています。

戦後は、パガン基地はそのまま放置されたものの、民間小型機の離発着には使用されてきたようです。  同島は火山島で島の南北に2つの活火山があり、1981年の噴火により元基地の北東側が溶岩流で覆われましたが、それでも現在でも小型双発機程度までなら離発着は可能なようで、観光用のチャーター便などが運航されているようです。 

なお、パガン島には大戦中に海軍の警備・基地管理要員など約300名が所在していましたが、昭和19年2月になって満州にいた陸軍第71師団の歩兵第87連隊などからの第五派遣部隊約2150名が同島防衛のために進出・駐留しました。 しかしながら結局のところ、米軍による直接侵攻は無かったものの補給を絶たれた結果として、南方の孤立した島々と同じく飢餓状態に陥り、空襲による戦死者数よりは餓死などの戦病死者数が遙かに多かったとされています。

終戦により米軍に降伏し同島は米国の占領下に置かれましたが、1947年に米国の信託統治領となり、次いで1986年には米国の自治領である北マリアナ諸島自治連邦区となり現在に至っています。


   
1944年の米軍史料 からパガン島の位置図    
 
1955年の米軍地図からパガン島全体図   衛星写真からパガン島の全景
( Google Earth より )
 
1944年の米軍史料からパガン基地配置図   衛星写真から パガン基地跡の全景。 東側は火山の溶岩で覆われてしまっています。
( Google Earth より )



   
1943年の米潜水艦による偵察写真よるパガン基地。 格納庫があったことが判ります。    






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最終更新 : 24/Mar/2019