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東港航空基地 |
東港航空基地は、古くから水上機用の基地として整備されましたが、その立ち上がりについてはよく判りません。 ただし、昭和10年代には既にかなりの規模を有していたようです。
そして、昭和15年11月15日に東港航空隊が置かれ本格的な大艇基地となりましたが、その後の同隊の状況は次のとおりです。
昭和15年11月15日 | 東港航空隊開隊 |
同 | 連合艦隊第一航空戦隊に編入 |
昭和16年11月 8日 | 全機をもってパラオ基地に進出、開戦準備、以後開戦に伴い主として南西方面作戦に従事 |
昭和17年 8月26日 | 南西方面部隊より除かれ、南東方面部隊に編入、ラバウル、ショートランドに転進 |
昭和17年11月 1日 | 第八五一航空隊と改称、以後南西及び南東方面作戦に従事 |
昭和18年 9月 1日 | 第二十八航空戦隊に編入 |
昭和19年 9月20日 | 解隊 |
なお、東港航空隊 (第八五一航空隊) は昭和16年11月の南方進出から昭和19年9月の解隊までの間に2度原駐基地である東港航空基地に戻っております。 また、解隊時に同隊は第八〇一航空隊 (元の横浜航空隊) に吸収されましたが、この時から同年12月末まで同隊はこの東港航空基地に進駐しております。
昭和19年6月1日には水偵を以てする第九五三航空隊が東港航空基地に置かれました。 同隊の状況は次のとおりです。
昭和19年 6月 1日 |
第九五三航空隊開隊 |
同 | 高雄警備府に編入 |
昭和20年 1月 1日 | 解隊、第九〇一航空隊 (本部 : 舞鶴航空基地) に統合 |
第九五三航空隊が第九〇一航空隊に統合されて以降も、東港航空基地に航空機が残っていたのかは不詳ですが、終戦時の東港航空基地は第九〇一航空隊が管理部隊となっていました。
終戦時に中国軍に接収されたものの、その後の状況は不明ですが、基地跡は大規模な再開発などされることなく残されました。 特に格納庫地区及びエプロン地区は現在では公園として整備され、エプロン及び滑りなどはそのまま残っているようです。
1951年の米軍地図から東港付近。 | 現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は陸上機、緑色は水上機です。 ( 元画像: Google Earth より ) |
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1944年版の米軍地図から。 | 現在の状況地図。 (周辺広域地図表示) |
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1945年の米軍史料より基地全景写真 | 基地跡の衛星写真。 エプロン地区に飛行艇の形を模した展望台が作られています。 ( Google Earth より ) |
昭和16年11月8日東港航空隊出撃記念 |
最終更新 : 29/Apr/2018