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笠ノ原航空基地 |
笠ノ原航空基地は、元々は大正11年この地に陸軍主導の下に鹿屋町営の 「笠野原飛行場」 として設置され (用地は借り上げ)、これを陸海軍も演習などで使用しており、かつ大正14年以降は陸海軍共同で賃借料を町に支払って利用していたことに始まります。
そして、鹿児島県からの飛行場誘致もあり、鹿児島県鹿屋市付近に航空基地を設置するため昭和7〜8年に適地調査が行われましたが、当時は当該地区は将来的には陸軍用と考えていたことから候補地に挙げられていません。
なお、大正14年の借り上げ以降は陸海軍共にここを 「鹿屋飛行場」 と呼ぶこともありましたが、昭和11年鹿屋航空基地の設置に伴って混同を避けるために、以後 「笠ノ原飛行場」 と呼ぶことに統一されました。
開戦前には機動部隊の艦爆隊が本基地において真珠湾攻撃の訓練を行ったことは有名ですが、その他での使用状況については不詳です。
なお、一般では昭和19年1月15日に海軍航空基地となったとされているもの (鹿屋市観光協会による現地説明板など) がありますが、少なくとも昭和17年10月30日内令1989号により鹿屋航空隊を管理部隊とする 「笠ノ原航空基地」 として制定されていますので、これは誤りと考えられます。
本基地において編成、開隊した航空隊は次のとおりです。
第二六五航空隊 (艦戦) |
昭和18年11月15日 同 昭和19年 1月15日 |
本基地において編成、開隊 (原駐基地 : 鹿児島) 第一航空艦隊に編入 新竹に進出 |
第二二一航空隊 (艦戦) |
昭和19年 1月15日 同 昭和19年 6月15日 昭和19年10月23日 |
本基地において編成、開隊 (原駐基地:香取) 第六十二航空戦隊に編入 第二航空艦隊に編入 比島 (アンヘレス) に進出 |
また、次のものが本基地に移駐して作戦を行っています。
第三四一航空隊 (艦戦) |
昭和18年12月 5日 昭和19年 1月14日 昭和19年 7月10日 |
松山より笠ノ原に移駐 (原駐基地 : 松山) 館山に移駐 館山より笠ノ原に移駐 |
第二〇三航空隊 (艦戦) |
昭和19年11月20日 昭和20年 7月21日 |
比島より笠ノ原に転進 (原駐基地 : 厚木) 築城に移駐 |
次の特設航空隊が本基地を原駐基地に指定されていましたが、実際にどれだけ本基地を使用したかどうかは不明です。
第六五三航空隊 |
昭和19年 2月15日 同 昭和19年10月12日 昭和19年11月15日 |
「千歳」 「千代田」 「瑞鳳」 の飛行隊を以て岩国にて編成 第三航空戦隊 (第三艦隊) に編入 比島に進出、捷号作戦に参加 解隊 |
その他にもいくつかの航空隊の飛行隊が本基地に進出して作戦を実施しましたが、その全容については不詳です。
本航空基地は、鹿屋航空基地の分散用として考慮されたものですが、結局のところ当初からの民間飛行場としての滑走路は拡張の余地がなく、これとは別に南北の新滑走路の建設に着手しましたが、完成を見る前に終戦を迎えました。 また付帯施設・設備も整備中に空襲を受けるようになったため、未完成のものが多かったようです。
終戦後は無償で民間に払い下げられて一帯は農地となり、その後も再開発されることなく現在に至っています。 また庁舎地区は現在では鹿屋市立笠野原小学校となっています。
なお、地名としては一般的にもまた公文書などでも 「笠之原」 あるいは 「笠野原」 とも呼ばれることがありますが、基地名としては本項では海軍の公式名称に従い全て 「笠ノ原」 で統一しています。
終戦時の旧海軍史料から笠ノ原航空基地の位置図 (赤丸)。 図中央は鹿屋航空基地。 | 付近航空基地との位置関係。 黄色文字は固定翼、緑色は水上機用です。 (元画像 : Google Earth より) |
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大変に見難いですが、終戦時の旧海軍史料より基地のレイアウト。 上が西南西方向。 | 現在の状況地図。 旧庁舎地区は市立笠野原小学校となっています。 (周辺広域地図表示) |
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1945年の米軍史料から基地全体写真 | 国土地理院の2万5千分の1地図から当該部分。 | |
海自の古い部内資料に掲載されている基地のラフ・レイアウトです。 | 衛星写真から現在の状況。 一帯はいまだに農地が広がっています。 ( Google Earth より ) |
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海自の古い部内資料に掲載されている基地のラフ・レイアウトです。 | ||
昭和22年の米軍航空写真より。 一帯は既に農地となっておりますが、2本の滑走路跡はよく判ります。 | ||
昭和9年飛行場適地選定時の旧海軍図面より、当時の町営飛行場敷地。 |
( 写真収集中 ) | ||
最終更新 : 29/Apr/2018