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築城航空基地 (付:犀川(六八一)航空基地) |
築城航空基地は、,昭和17年10月に福岡県築上郡 (現在の行橋市大字松原) の地に建設され、築城航空隊 (初代) が置かれたことに始まります。
その築城空の状況の概略は次のとおりです。
昭和17年10月 1日 | 築城航空隊開隊 (艦戦) |
同 | 第三艦隊付属 |
昭和18年 1月15日 | 第三艦隊第五十航空戦隊に編入 |
昭和19年 1月 1日 | 第十二航空艦隊第五十一航空戦隊に編入 |
同 | 艦爆、艦攻搭乗員錬成教育 |
昭和19年 2月20日 | 第五五三海軍航空隊と改称 |
築城航空隊(初代)が昭和19年2月20日に第五五三海軍航空隊となったことに伴い、築城航空基地の管理部隊として宇佐航空隊が管理部隊として指定されました。
そして昭和19年3月に本基地を原駐とする第2代の築城航空隊が編成されました。 その築城空の状況の概略は次のとおりです。
昭和19年 3月15日 | 筑波航空隊が移転して開隊 |
同 | 第十二連合航空隊に編入 |
同 | 練習航空隊に指定 陸上練習機操縦教育を担当 |
同 | 富高分遣隊を置く |
昭和20年 3月 1日 | 富高分遣隊を廃止 同分遣隊は岩国航空隊となる |
同 5月 5日 | 練習航空隊の指定を解除 |
同 | 第五航空艦隊第12航空戦隊に編入 |
この築城航空隊 (二代) の開隊により、築城基地の管理部隊は原駐航空隊である築城航空隊に戻っています。
なお、戦争終盤では、特攻隊の出撃基地として使用されております。
終戦時には、零式艦戦 x 98機、紫電 x 1機、一式陸攻 x 1機、月光 x 1機、天山 x 1機、彗星 x 3機、九三式中練 x 74機、二式陸初練 x 1機などがあったとされますが、何れも破損状態であり、かつそれぞれの元の所属は不明です。
終戦後は連合軍に接収され、昭和30年に航空自衛隊臨時築城派が置かれましたが、昭和32年に返還されて航空自衛隊築城基地となりました。 昭和63年には日米地位協定に基づく在日米軍との共同使用となっています。 現在は航空自衛隊第8航空団が所在し、元の滑走路脇に2400mの新たな滑走路が建設されていますが、沖縄普天間基地の移設に関連して更にこれを2700mに延長することが計画されているようです。
昭和19年7月本部庁舎前での記念撮影 | ||
昭和19年7月格納庫前での記念撮影 |
犀川 (六八一) 基地は、終戦間際に作られた本土決戦用の秘匿基地、いわゆる “牧場” の一つですが、築城基地の分散・隠蔽用としての性格が強いためにここで取り上げます。
この基地は、築城基地から西南西約8km内陸部の犀川沿い、福岡県京都郡犀川町木山 (現在の京都郡みやこ町) の地に昭和20年7月に建設が行われて同月内には概成したとされており、終戦時には 600m x 30m の粘土質の土壌を転圧した滑走路1本と、誘導路、航空機置場、航空機整備場木造3棟、指揮所などが整備されたとされていますが、宿舎等は整備されなかったとされ、詳細については不詳です。
戦後はそのまま元の地権者に開放され、ほとんどが農地となりました。 元の滑走路は現在の区画割とは少し斜めになっています。
(写真収集中) | ||
最終更新 : 29/Aug/2021