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佐世保航空基地



佐世保航空基地は、大正9年に佐世保鎮守府所属の佐世保航空隊が置かれたことに始まります。 水偵による西海の守りの実用機基地としての位置付けで、連絡機用の滑走路はあったものの本格的な陸上機の運用には至りませんでした。 その状況の概略は次のとおりです。  

大正 9年12月 1日
    同
大正14年 4月 1日
昭和 6年 6月 1日
昭和16年 4月 1日
昭和17年 3月31日
昭和18年12月 1日
昭和19年 4月10日
昭和19年12月15日
佐世保航空隊開隊
佐世保鎮守府所属となる
広分遣隊を置く
同上廃止 (呉空となる)
出水分遣隊を置く
同上廃止
佐世保防備戦隊所属となる
佐世保鎮守府所属に復帰する
九五一空に統合される

昭和12年8月には上海事変勃発に伴い、特設航空隊である第二三航空隊 (水偵) がここを原駐基地として開隊されましたが、直ちに中国方面に進出し、同年10月には解隊されました。

開戦後は次の特設航空隊がここを原駐基地として開隊しましたが、編成後ただちに外地に進出し、以後一度も戻ることはありませんでした。

第五航空隊 (水戦、水偵)
 
昭和17年 8月 5日
昭和17年11月 1日
開隊
第四五二航空隊と改称

第九五五航空隊 (水偵) 昭和19年 8月 1日 開隊

また、昭和19年12年に各地の残余部隊を集めて編成された特設航空隊である第九五一航空隊 (艦戦、陸攻、水偵) がここを原駐基地として開隊されました。 その状況の概略は次のとおりです。

昭和19年12月15日 第九五一航空隊開隊、佐世保航空基地に本部を置く
    同 佐世保鎮守府所属となる
    同 鎮海、済州島、博多、大村、指宿、古仁屋、小禄、上海、旅順、青島などに分派
昭和20年 7月 1日 水偵隊のみとなる

その他、『海軍航空隊ノ所管、名称及所在地又ハ原駐基地』 (昭和17年内令1978号、昭和20年2月現在) によりますと、特設航空隊である中支航空隊が 「佐世保軍港」 を原駐基地とすることとされていますが、その実態については不明です。

終戦後は米軍が進駐し、資材置場、ゴルフ場などに使用されていましたが、昭和33年には共同使用の形で元の格納庫及び滑り地区に海上自衛隊佐世保地方隊の佐世保防備隊が置かれていました。 同地区はその後SSK (佐世保船舶工業、現佐世保重工業) との土地交換により同社の所有となり、百万トンドックの建設などが予定されていたようですが、結局実現することも活用されることなく単なる資材置き場になっておりました。

その後再び土地交換による国有地となり、米海軍のLCAC駐機場兼整備場となっていましたが、現在ではこれは対岸の横瀬地区に新たに移設され、本基地跡は海自が使用中です。 これらにより元の建物・格納庫跡などは一新されましたが、滑りは米海軍LCAC使用時に補修がなされてはいるものの現存しています。



  
戦前の市販地図より基地位置図
(年代不詳)
   現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は陸上機、緑色は水上機、赤色は両用です。
(元画像: Google Earth より) 
 
古い海自部内資料に掲載されている基地のラフ・スケッチです。   現在の状況地図。 元の管理地区を含めた敷地北側は海自の施設となっています。
      (周辺広域地図表示)
 
1946年版の米軍地図から。   国土地理院の2万5千分の1地図から当該部分。
1946年の米軍史料より基地レイアウト図 現在の衛星写真による当該地区の状況。 今では当時を忍ばせるものは滑り地区のみとなってしまいました。
( Google Earth より )
 
終戦時の旧海軍史料よりラフなレイアウト図。 (上が西北西方向)   昭和50年の国土地理院の航空写真から。 管理地区を除き、滑走路跡も含めてまだ終戦時の状況がほぼ残っています。
   
昭和23年の米軍航空写真。 まだほぼ終戦直後の状態を保っており、連絡機用とされる滑走路もまだはっきりしています。    



   
本部庁舎 (撮影時期不詳)    
 
格納庫 (戦後撮影)   同左内部 (戦後撮影)






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最終更新 : 29/Apr/2018