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呉航空基地



呉航空基地は、大正14年に水上機を以てする佐世保航空隊広分遣隊を置いたことに始まります。 その後昭和6年になって同分遣隊を廃し、呉鎮守府所属の呉航空隊が置かれました。 当初は水上機のみでしたが、昭和9年に滑走路を始めとする陸上機用の施設が整備され、水陸両用の基地となりました。 呉航空隊の状況の概略は次のとおりです。  

大正14年 4月 1日
昭和 6年 6月 1日
    同
昭和 9年
昭和20年 5月 5日
佐世保航空隊広分遣隊を置く
同上を廃し、呉航空隊開隊
呉鎮守府所属となる
陸上飛行場施設完成、艦戦隊及び艦攻隊を配備
解隊

昭和12年7月には第二一航空隊がここを原駐基地として開隊しましたが、直ちに北支方面に進出した後、同年11月には解隊されてしまいました。

開戦後は、昭和18年7月に特設航空隊の第五三一航空隊(艦爆)がここを原駐基地として開隊し、館山航空基地において編成されましたが、直ちに北東方面へ進出、その後マーシャルに進出後部隊は全滅したため昭和19年2月に解隊されており、この間一度も呉航空基地に戻ることはありませんでした。

その他、『海軍航空隊ノ所管、名称及所在地又ハ原駐基地』 (昭和17年内令1978号、昭和20年2月現在) によりますと、特設航空隊である第九三六航空隊 (元第四〇航空隊) がここを原駐基地とすることとされていますが、その実態については不明です。

また同文書では、北菲航空隊、中菲航空隊、南菲航空隊、及び第六三一航空隊が 「呉軍港」 を原駐基地とすることとされていますが、同じくその実態については不明です。

なお、川の対岸 (東側) には広海軍工廠 (航空機部は後に第十一海軍航空廠となる) が置かれ水上機の研究開発に当たっていたため、ここにも格納庫やスベリなどが整備されており、これらの施設は必要に応じて呉航空基地と適宜相互に利用していたと考えられます。

その一方で、陸上機用としては滑走路の長さが短すぎるため、あまり活用されなかったとされています。

終戦後は、一時占領軍の管理下におかれ、滑走路地区は官舎用地となりましたが、その後民間に払い下げられて工場地帯となっています。 このため現在ではここが水陸両用の航空基地であったことを偲ばせるものは含めて何も残されていません。


    
     現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は陸上機、緑色は水上機、赤色は両用です。
(元画像 : Google Earth より) 
 
終戦時の旧海軍史料より基地のラフレイアウト図。   現在の状況地図。 1980年代後半に南側が更に埋め立てられています。
      (周辺広域地図表示)
 
1945年版の米軍地図から。 川を挟んだ右(東)側は第十一海軍航空廠です。   国土地理院の2万5千分の1地図から当該部分。
 
1946年の米軍写真より。 進駐軍用官舎の造成が始まっていますが、滑走路も含め航空基地全体のレイアウトがよく判ります。   衛星写真による現在の状況。 川を挟んで隣接する第十一海軍航空廠跡とともに一帯は完全な工業地帯となっており、今では航空基地があったことを偲ばせるものはありません。
(元画像 : Google Earth より)
   
1962年の国土地理院の航空写真より。 滑走路地区はすっかり官舎用地になっていますが、それ以外のところはまだほとんど終戦時の姿を留めています。    
   
終戦時の旧海軍史料より基地施設のレイアウト図。 (上が北北東方向)    



(写真収集中)    
     






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最終更新 : 29/Jan/2013