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大湊航空基地 |
大湊航空基地は、昭和6年に北海道及び千島方面の警備を担うため新設が閣議決定され、要港部隣接地に新たに飛行場用の用地買収を行って昭和8年5月に建設に着手し、同年11月まず水上機をもって大湊航空隊が開隊されたことに始まります。
続いて滑走路を始めとする陸上施設が整備されるにともない陸上機が配備され、各要港部で最初の所属航空隊を有する水陸両用の航空基地となりました。
大湊航空隊開隊以降の概略の状況は次のとおりです。
昭和 8年11月 1日 同 昭和10年 4月 1日 昭和11年11月16日 昭和12年 7月31日 昭和19年12月15日 昭和20年 5月10日 |
開隊、大湊警備府に所属 飛行規定数 : 水偵半隊 航空機定数改定 : 水偵半隊、艦戦半隊 航空機定数改定 : 水偵半隊 (6機)、艦戦半隊 (9機)、中攻半隊 (9機) 中攻隊は木更津航空隊に配属替えとなる 第九〇三航空隊 (横須賀鎮守府所属) に統合され、大湊派遣隊となる (水偵 x11機、中練 x9機、その他 x2機) 第九〇三航空隊は大湊警備府に編成替となり、本部を本航空基地に移す |
なお、昭和14年には千歳航空基地の本格運用と共に北海道及び千島方面の警備任務が解かれましたが、太平洋戦争開戦に併せて再度警備任務が付与され、戦時中は対潜哨戒・船団護衛において水上部隊と協同してそれなりの戦果を挙げています。
また、昭和17年11月1日に第41航空基地隊が本基地で開隊、大湊警備府に編入されましたが、昭和18年10月1日に同隊は第十二航空艦隊に編成替となり、翌19年5月1日は解隊となりました。
終戦時には本航空基地には39機が所在していたとされていますが、その詳細は不明です。
終戦後は本航空基地は米軍に接収されましたが、昭和31年には海上自衛隊大湊地方隊所属の大湊航空隊の開隊に伴い同基地となりました。 このためもあって、元の滑りを始めとして元々の航空基地の様子を今もなお色濃く残しています。
ただし、開隊当初使用していたのは隣接する旧第41航空廠大湊支廠跡の施設であり、元の航空基地跡に移転したのは昭和36年12月になってからです。
なお、平成20年の海上自衛隊航空部隊の再編により、大湊航空隊は大湊地方隊所属から航空集団隷下の第21航空群所属となり、第25航空隊へと改編されて現在に至っております。
古い海自部内資料に掲載されている基地のラフ・スケッチ。 | 現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は固定翼、赤字は水陸両用です。 ( Google Earth より ) |
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非常に状態が悪いですが、昭和8年の旧海軍による当初の航空基地配置図。 | 現在の状況地図。 現在でも海上自衛隊がヘリコプター基地として使用しています。 (周辺広域地図表示) |
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昭和19年の米軍地図より。 滑走路や滑りなど全体のレイアウトは実際とは多少異なっております。 | 国土地理院の2万5千分の1地図から当該部分。 | |
戦前の市販地図より基地位置図 (年代不詳) |
平成8年の航空路図誌より。 | |
昭和20年の旧海軍資料より、基地周辺レイアウト図。 | ||
昭和19年の米軍資料より、レイアウト図。 | ||
昭和19年の米軍資料より。 | ||
昭和23年の米軍航空写真。 滑走路の拡張が行われていますが、元の航空基地の状態がほぼ残っています。 | 衛星写真から現在の状況。 滑りはほぼそのまま残っている他、元の滑走路跡もまだ明瞭にわかります。 ( Google Earth より ) |
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同じく昭和23年の米軍写真より大湊鎮守府跡なども含めた付近の状況。 | 昭和60年の航空写真より。 滑走路などはほぼ現在の形となっております。 |
昭和8年開隊時の正門と本部庁舎 |
最終更新 : 05/Mar/2021