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樺山航空基地 |
樺山航空基地は、昭和5年に大湊要港部 (当時) 所属の飛行機不時着陸用の 「大湊飛行場」 として用地買収を行って建設されましたが、翌6年には大湊航空隊の新設が閣議決定され、要港部隣接地に新たに飛行場用の用地買収を行って昭和8年に建設に着手したこともあって、以後本基地の方は大戦中期まで本格的に整備されることなく、不時着陸用及び輸送機用基地として使用されました。
本格的な航空基地としての施設整備が始まったのは昭和18年9月9日からで、昭和20年5月に第九〇三航空隊が横須賀鎮守府から大湊警備府に編成替となって大湊航空基地に移駐し、その一部が本基地を使用しましたが、結局終戦まで本基地を原駐基地とする航空隊が置かれることはありませんでした。
終戦時までには基地機能は一応揃っていたようでが、完成状態であったがどうかは不明で、滑走路も増設工事中の跡が見られます。
終戦後は、米軍管理下に置かれていたようで、昭和27年の米軍航空写真では滑走路及びエプロン地区のみが確認できます。 その後、自衛隊の発足に伴い樺山飛行場として海上自衛隊に移管されました。
しかしながら、常駐航空隊が配置されなかったこともあり、実際にどれだけ活用されたかは不明で、昭和52年には飛行場としての用途変更がなされて海上自衛隊樺山通信所が置かれました。
ここは現在でも滑走路及びエプロン地区などは残っていますが、放棄状態のようですので航空機の離着陸などは不可能なようです。
なお、本基地の名称は旧海軍及び海上自衛隊を通じて従来の地名を使用した 「樺山」 ですが、現在の国土地理院による地名は 「椛山」 となっております。
(写真収集中) | ||
最終更新 : 14/Jul/2021