東映の 『男たちの大和』 は平成16年12月に劇場公開され大変なご好評をいただきましたが、平成17年8月にはDVD版も発売され、これまた順調に売り上げを伸ばしたと聞いております。 つきましてはこれを勝手に記念して、この『男たちの大和』制作に多少とも関わらせていただいた者として、皆様に私が撮った実物大撮影用セットの写真を中心にお目にかけます。
尾道のセットについては、平成16年のクランクアップ後から平成17年5月まで一般公開されておりましたので、ご覧になられた方も多いと思います。 しかし、撮影に使用された後でかなり汚れているのと、高角砲や機銃が並んでいる中部甲板などは立ち入り禁止になっていましたので、そこからの写真は珍しいと思います。 特に、電動で動くように作られた高角砲や機銃は中部甲板の上部にしかありませんので、ご覧になられた方は少ないのではないでしょうか。
尾道でのものは、クランクイン前日の平成16年3月23日(一部は22日)に撮影したもので、細部はまだ工事中でした。 それに、当時は艦首部分や副砲などは作る予定はありませんで、撮影がはじまってから急遽これらのものの追加が決まりました。 したがって、その部分の写真はありません。
また、京都撮影所に作られた戦闘艦橋と防空指揮所のセットは、平成16年の4月から5月にかけてお邪魔した時に撮ったものですが、 それぞれのシーン撮影後すぐに解体されてしまいましたので、ご覧になれた方々も非常に無く、今では大変貴重な写真と思います。 これらの部分が実際の映画ででどのような画面になっているかを比べていただくと面白いでしょう。 ベニヤ板で作ったものとはいいながら、壊すのはもったいないくらい非常に良く出来ていました。 呉の「大和ミュージアム」にでも展示したら目玉の一つにはなったと思うのですが・・・
余談になりますが、当初、私は高角砲や機銃の作動・操作、砲員達の動作などの指導をということで東映さんからお呼びいただいたのですが、色々お話しをしている内に、艦橋、防空指揮所、それに長官室などでの撮影シーンに関連して、旧海軍でのことについて色々アドバイスをということになりました。 そこで、尾道だけでなく、京都撮影所にもお邪魔して、撮影現場に立ち会わさせていただきました。
京都では、 佐藤純禰監督 と色々お話しをしていて、急遽監督が撮影シーンのその場その場でかなりのセリフやアクションを変更・追加して下さいましたので、俳優さん達やスタッフの方々はさぞ大変だったでしょう。 お陰様で、随分と当時の雰囲気らしさが出たものになっていると思います。
映画の撮影現場というものを初めて体験させていただきましたが、大変面白く、貴重な経験をさせていただいたと思っております。 俳優さん達はもちろんですが、制作に携わるカメラ、音声、照明、大道具・小道具、衣装、特殊効果、等々スタッフの人達のプロフェッショナリズムとチームワークは見事なものでした。 また、小柳さんという女性のプロデューサーがおられましたが、猛烈に忙しい中で大変に頑張っておられたのが印象的でした。
そして何と言っても、佐藤監督のその素晴らしい人柄と感性 の一端に接することが出来きましたことは、私の人生で忘れることが出来ないものです。 監督の人柄が反映されていたのでしょう、撮影現場がこれ程和気藹々として、楽しい雰囲気であったのには驚かされました。
(平成31年2月17日追記) : 佐藤監督は去る2月9日に86歳で永眠されました。 本当に残念なことです。 心よりご冥福をお祈りいたします (合掌)
映画についての素人である私が度々撮影最中の現場をウロウロしてさぞ迷惑だったでしょうが、皆さんに大変に親切にしていただきました。 この場からもお礼申し上げます。
『男たちの大和』、私にとっても大変思い入れのあるものとなりました。 皆さんの中で劇場公開やDVD版をご覧いただいた方々も、是非また二度・三度とじっくりご覧下さい。 単なる 「大和もの」 ではない、また 「反戦映画」 でも 「特攻賛美もの」 でもない、ちょっと視点を変えた 純粋な人間ドラマという、大変素晴らしい日本映画に仕上がった と思います。
なお、劇場公開版ではまだ退官前でしたので私の名前はありませんでしたが (防衛庁 (当時) の広報から東映さんに現役の者の個人名は出させないという指導が出ました)、DVD版はもう退官後となりましたので東映さんがちゃんとエンドロールに 入れて下さいました。 これも大変な良き記念になります。 東映さんのご厚意に対して感謝いたします。
各写真は ダブルクリック すると、それぞれのものを別ウィンドウで 拡大表示 ようになっています。
写真は全て東映株式会社から私の個人使用ということで撮影許可及び提供を受けたものです。 無断引用、無断転載は厳にお断り致します。
尾道駅前の公園から。雨で視界が少々悪い。(22日) | 同左。(22日) | 同左。晴れた!(22日) |
左舷中部。これがほとんど鉄骨にベニヤ貼りだとは信じられないくらいの出来です。(以後23日) | 2番主砲塔。副砲はまだ作られていない (当時作る予定は無かった)。 | 左舷中部のアップ。 |
左舷艦橋下部。 | 左舷舷側機銃群。 | 左舷外舷部。 |
同じく左舷外舷部。 | 前甲板先端から左舷後方を見る。 | 広々とした主砲塔左舷甲板。 |
2番主砲塔。主砲の砲身を補強作業中。(FRP製の砲身は風でユラユラ。急遽中に鉄骨をいれました。) | 組立中の1番主砲塔。 | 右舷側にはほとんど何も作られていません。 |
甲板上にある“人力”でそれらしく動かす機銃のセット。 | 2番主砲塔脇から中部を見る。 | 高角砲群と機銃群。 |
同左。中段のシールドが無い機銃が中村獅童などの活躍場所。 | 高角砲群と機銃群の間。 | 中村獅童が機銃の指揮中に負傷するシーンの指揮所から見た前甲板。 |
右中段上にある小さい円形のところがその指揮所。(撮影ではここに小さな測距儀が置かれていました。) | 中村獅童や松山ケンイチの活躍の舞台となった機銃座を上から見る。この機銃は電動でそれらしく動きます。 | 同左。左手前の開いている木製のハッチは、映画では殴られた中村獅童に夜食事を運んできた反町隆史が上がってくるシーンのところ。 |
電動でそれらしく動かせる高角砲のセット。床にある小さな白い箱がコントロールボックスです。 | 同 左。 | 同左。別角度から。 |
戦闘艦橋の外観。右舷側から。このセットは1週間の寿命でした。(以降4月〜5月撮影) | 同左。左舷側から。照明が暗くて、ちょっと写りが悪くなってしまいました。 | 戦闘艦橋の内部。思った以上に狭いです。 |
同じく戦闘艦橋の内部。 | 本物では戦闘艦橋の上部にある防空指揮所。 | 同左。実物大でもこの狭さです。 |
防空指揮所の全景。このセット、たった2日間の寿命でした。 | 同左。世界最大の戦艦でもこんな大きさでした。 | 脇役さん達が配置についたところ。 |
リハーサル直前。ちょっとピンボケ。 | セットの裏側。上手く作るものです。 | 「大和」 沈没後の漂流中のシーン。足が立つこんな特設プールで撮影しました。 |
おまけ1:組立が終わった高角砲。(東映さんから頂きました。) | おまけ2:同左。(東映さんから頂きました。) | おまけ3:戦闘シーン撮影中のもの。(東映さんから頂きました。) |
( 終 ) | ||||
東映さんからいただいた台本です。私の宝物。 | 京都撮影所で渡哲也氏とのツーショット。一生の記念です。(拡大表示はしません。) |
最終更新 : 17/Feb/2019