この史料は、明治期の海軍にあって現役の機関科将校として勤務の傍らその海軍の姿を後世に残し、著名な写真家としても知られる関重忠自らの手になるオリジナル・アルバムです。
関重忠の作品は、彼自身で編纂した 『朝日の光』 や 『渡英のおもかげ』 を始め、日露戦争関係の写真集に数多く収録されて出版されていることはご存じと思います。
本史料は、彼自身が撮影した写真の中からオリジナル・プリント46枚を選んで市販のアルバムに張り付けたもので、おそらくこれ一つしか作られなかったと思われますので、その意味では大変に価値があるものです。 ただし、何時の時点かは判りませんが装丁がやり直されており、元々のアルバムの形状などは不明です。
内容は、彼が 「浅間」 の機関長として勤務した時のもので、最終頁の自署にあるように明治35年3月までのものが収録されています。 中には他の出版物などに掲載されて既に知られたものも含まれていますが、ロシアとの開戦を目前に控えた我が海軍艦艇の姿を捉えた大変貴重な写真帳 であると言えます。
(注) : ご覧いただいてお判りのように、本アルバムでは戦艦の船体外舷は全て黒色であり、1等巡洋艦のそれは灰色の時期のものです。 したがって、戦艦の塗色が明治33年12月の 「各戦艦外舷黒色ニ塗替ノ件」 (海総3205の2号) により黒色に変わった時期から、1等巡洋艦の塗色が明治34年9月の 「戦艦及一等巡洋艦塗色ノ件」 (海総3430号) により黒色に変わるまでの時期のものと言えます。
ただし、同指示で各鎮守府司令長官宛てに “漸次実施スベシ” とあるように、修理時期などを利用するのでない限り戦艦や1等巡洋艦の船体の塗色替えはそう簡単にできるものではありませんので、各艦の正確な塗り替え時期については不明です。 したがって、ここに収録されている写真の全てが厳密に明治33年12月から同34年9月までのものであると断定することはでず、それぞれ後ろに数ヶ月の幅が含まれています。
なお、6頁の 「浅間」 の写真は、船体が黒色であることことから、明治34年9月からアルバム作成の35年3月の間のものです。 また、2頁の 「初瀬」
は煙突が黒色で白色の識別線が入っていることから塗色試験中の明治34年7月以降の撮影になります。
残念なことは、オリジナル・プリントであるがために経年変化により大幅に退色が進み、かつ保管状況が悪かったこともあって汚れ及び傷が相当あることです。 そのため、私の技術の未熟さもあって、オリジナル・プリント本来の持つすばらしさを十二分に再現してお伝えできないことをご了承下さい。
下段の 「拡大写真」 の文字部分をダブルクリックすると、それぞれの写真部分を別ウィンドウで拡大表示するようになっています。 この拡大表示では一人歩き防止のため透かしロゴが入れてありますことをご了承下さい。 なお、出版及び研究などで透かしロゴの入っていないオリジナルサイズのもののご要望がございましたら、ご連絡いただければ考慮いたします。
09 - 八雲 |
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10 - 高砂 |
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11 - 北白川宮妃殿下浅間にて御渡台内若宮殿下水雷艇にて横浜沖まで御見送りの時 |
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12 - 内殿下台湾より御帰着の時水雷艇奉迎 |
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13 - 敷島哨艇 |
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14 - 明治35年北清事変連合艦隊太沽沖に集合 |
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33 - 太沽沖駆逐艦を浅間に横付けして炭水を供給するの景 |
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34 - 遠品洋中航行の浅間 |
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35 - 水平帆桁事業 吉野 |
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最終更新 : 23/Mar/2013