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滄口航空基地



滄口航空基地については、支那事変において派遣された第三遣支艦隊隷下の青島航空部隊により佐世保及び大村航空隊から派遣された水上機が使用した青島航空基地(通称「團島基地」)と共に、陸上機が使用した通称「B基地」)として知られておりますが、基地そのものについては旧海軍の史料がありませんので、詳細は不明です。

本基地は第1次大戦後に旧陸軍との協定により旧海軍が主として運用し、管理する航空基地とされてきましたが、支那事変までは本格的な使用には到らなかったようです。 支那事変においては青島航空部隊により使用されたものの、本基地を原駐基地とする固有の航空隊が置かれることはなく、作戦の必要に応じて適宜本基地に派遣・進出して運用されました。

そして太平洋戦争の後半の昭和19年になって、大井空の青島分遣隊が独立して本基地を原駐基地とする青島航空隊が開隊されました。 青島空のその後の状況は次の通りです。

昭和18年 5月 1日
昭和19年 1月15日
      同
      同
昭和20年 5月 5日
大井航空隊青島分遣隊を置く
青島分遣隊を廃止し、青島航空隊となる
第十三連合航空隊に編入
練習航空隊に指定され、偵察教育を担当
第三航空艦隊第十三航空戦隊に編入

終戦後の状況については不明ですが、1954年の米軍地図には飛行場として記載されておらず、一時期は放置状態にあったものとも考えられますが、その後中国空軍の航空基地となったとされています。 ただし、衛星写真で見る限りでは滑走路の状況も含めて基地全体があまり良い状態とは言えないようで、現在も使用されているのかなどの詳細は判りません。 (航空博物館? 航空技術院?)



  
昭和9年の旧陸軍史料より基地位置図    現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は陸上機、緑色は水上機です。
( 元画像 : Google Earth より ) 
 
1954年の米軍地図より。 滄口及び青島両基地の位置には飛行場の記号はありません。   現在の状況地図。 地図としてほとんど情報が表示されません。
    (周辺広域地図表示)
 
昭和9年の旧陸軍史料より飛行場要図   衛星写真による現在の状況
( Google Earth より )
 
写りが少々良くないのが残念ですが、1945年の米軍史料より滄口基地全体写真   衛星写真の当該部分の拡大。 滑走路は長く使われていないようにも見えます。
( Google Earth より )



(写真収集中)    
     






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最終更新 : 29/Apr/2018