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ヤルート航空基地



ヤルート航空基地は、マーシャル諸島のヤルート環礁 (Jaluit Atoll) の東端にあるイミエジ島 (Imieji (Emidi) Island) に所在する水上基地です。

本航空基地の正式名称は 「ヤルート」 ですが、ヤルート環礁、あるいはヤルート島との混同を避けるためもあって、海軍部内の文書などでもその所在地名から 「イミエジ」 と記されているものがあります。

日本はヤルート環礁を含むマーシャル諸島を第1次大戦中の大正3年に占領、同8年に委任統治領となりましたが、昭和12年に第12戦隊による南洋諸島の航空適地調査が行われ、この中で水上基地としてメジュロ及びウオッゼと共にヤルート環礁のイミエジ島も夜間離着水も可能な最適地として報告されました。

そして、翌13年に基地の建設が決定され、昭和14年4月に着工 (5月とする説もあり)、昭和16年3月 (4月とする説もあり) に大艇2隊、水偵1隊分の常駐施設を概成したとされています。

概成時の16年3月にクエゼリンのエビジエ水上基地に配備されていた水偵隊の一九空 (後に九五二空に改称) の一部が本基地に進出したとされますが、詳細は不詳です。

また太平洋戦争開戦に先立ち、昭和16年11月28日に横浜航空隊が大艇全機をもって本基地に集結し、訓練と哨戒を行っています。 そして開戦と同時にメジロ、エニウェトク、マキンなどに分散進出しております。

開戦後の昭和17年4月には横浜空及び東港空の一部をもって新たに第十四航空隊が編成され当基地に配備されました。 以後の十四空の経過は次のとおりです。

昭和17年 4月 1日


  同   8月 1日
  同  10月 1日
  同  11月 1日
  同  12月 1日
昭和18年 2月 1日
  同  11月 1日

昭和19年 4月 1日 
横浜空及び東港空の一部をもって編成 (常用12機+予備4機)
ヤルート基地に配備
第十一航空艦隊第二十四航空戦隊に編入
メジュロ、オウッゼ、クエゼリン等に進出
水戦隊を追加
第八〇二航空隊と改称
第十一航空艦隊付属となる
第十一航空艦隊第二十二航空戦隊に編入
第二十二航空戦隊は第四艦隊所属となる
サイパンに移駐
解隊、八〇一空に合併

実際には開隊当初には東港空からの配属機はおらず、かつ横浜空からの8機をヤルートとマキンに4機ずつ配備したりで、その後も十四空 (八〇二) 空の全力がヤルートに配備されていたことは無かったとされています。

また、昭和18年11月に八〇二空がサイパンに移駐して以降の当該基地の配備・運用状況については不詳ですが、少なくとも米軍機の空襲により19年2月以降は航空基地としての運用は無かったものと考えられます。

なお、ヤルート環礁には第6根拠地隊の第63警備隊などの海軍部隊が所在し、昭和18年11月には陸軍歩兵第122連隊の一部が、また昭和19年1月には海洋機動第一旅団の一部が防備のために進出して陸軍合計約430となり、陸・海合わせて約2200名ほどであったとされています。

終戦に伴い同環礁は米国に降伏、占領され、1947年には米国の信託統治領となりましたが、米国はマーシャル群島の経済中心をメジュロに移したため、日本の委任統治領であった時に南洋庁のヤルート支庁が置かれコプラの集積地などとして繁栄したヤルートは衰退してしまいました。 1986年にマーシャル諸島共和国のとして独立し、ヤルートもその一部となって現在に至っています。

水上基地は終戦後そのまま放置状態となったと考えられますが、現在でも大艇用の滑り2本及び突堤が残されています。



  
昭和13年の海図No.2103よりヤルート環礁位置図    現在の衛星写真から、周辺航空基地との関係。 黄色文字は陸上機、緑色は水上機、赤色は両用です。
( 元画像 : Google Earth より ) 
 
1943年の米軍史料よりヤルート環礁全体図   現在の衛星写真からヤルート環礁全体
( 元画像 : Google Earth より )
 
1943年の米軍史料よりイミエジ島配置図   衛星写真による現在のイミエジ島の状況
( 元画像 : Google Earth より )
 
1943年の米軍史料より基地全景写真   同上、水上基地部分の拡大。 大艇の滑り2本と突堤が残っています。
( 元画像 : Google Earth より )
   
1943年の米軍史料より空襲下の基地全景写真
   



建設中 (昭和15年頃と推定) のヤルート水上基地 (戦史叢書より)
 
 






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最終更新 : 10/Mar/2019