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私のディジタル・コレクションから 『懐かしの艦影 戦後編』をお目にかけます。 ご紹介するのは大きく分けて次の3つのカテゴリーです。

(1) 私自身が撮影したもの

(2) 同僚などから貰った艦艇のオリジナル写真

(3) その他艦船に関係するもの

特に(1)及び(3)については、画質は勿論、ピントも画角もあまり良くないものもありますが、素人の個人のコレクションですのでどうかご容赦を。 基地在泊中ではなく航行中のものについては、“艦艇勤務はこんな雰囲気” というところを味わっていただけたらと思います。

ただし残念ながら、ネットの昨今の状況から、そのままでは一人歩きするおそれがありますので (現実にしている訳ですが (^_^) ) 拡大写真についてはサイトのロゴ又は透かしを入れております。  

そしてサムネイルを含めて、本項の全てのコンテンツについて 無断転載、無断引用は決してされないように お願いいたします。

なお、ロゴや透かしの無いオリジナル・サイズのものをご希望される研究者や関係者の方などがおられましたら管理人宛てお問い合わせ下さい。 事情を拝見して考慮させていただきます。



 

 昭和44年(1969年)大島沖展示訓練


私が船乗りたらんことを目指して防衛大学校に入校してから、初めて自衛艦に乗ったのは1学年時の5月に行われた大島沖展示訓練でした。 海上自衛隊の展示訓練と言えば、今では一般の方々を乗せて体験航海と各種の訓練展示を行うものですが、この時代の大島沖展示訓練は防衛大学校の1学年に対して海上自衛隊の現状を見学させて、2学年進級時の陸海空要員選択の参考とするためのものでした。

なお、海上自衛隊創設時より続いていた護衛艦などの舷側のひらがな艦名表記は、この直後の6月1日に廃止されました。


艦隊運動 1   艦隊運動 2   P-2V による対潜爆雷
   
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32番砲の背面   船越入港中の「あさしお」   船越F-2バースの「はるしお」(手前) と「みちしお」(奥)
   
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 いただき物


(1) 昭和44年(1969年)

舷側に平仮名の艦名がありますので、昭和44年6月以前の撮影になる当時のいただき物でが、残念ながら今となってはいつ、どなたからのものであったのか等は記憶にありません。


DD113 「やまぐも」   DD116 「みねぐも」   DE213 「きたかみ」
   
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(2) 昭和45〜48年(1970〜73年)頃

昭和45年〜48年頃の撮影になる当時のいただき物でが、残念ながら今となってはいつ、どなたからのものであったのか等は記憶にありません。


DD101 「はるかぜ」   DD102 「ゆきかぜ」   DD105 「うらなみ」
   
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なみ型陣形運動   単縦陣で進むなみ型   荒天下の「あきづき」型
   
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DD119「あおくも」   改造後のDD183「ありあけ」   DD184「ゆうぐれ」
   
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( 以下、追加作業中 )


 観音崎沖 遠航部隊見送り

昭和45年(1970年)6月

昭和45年の練習艦隊が6月30日に鹿島立ちをし、これを防大短艇委員会がカッター2隻をもって観音崎沖で見送りをしました。 この年の遠洋航海は新造の練習艦 「かとり」 と随伴艦 「きくづき」 による海自初の世界一周で、実習幹部は幹校20期 (防大13期と一般大卒) 163名、練習艦隊司令官は谷川清澄海将補でした。

当時はまだ個人用のオート・フォーカス・カメラや可変望遠レンズなどは手が出ませんでしたので、ピントや画角があまり良くないことと、プリントやネガの経年劣化のために画質も良くありませんことを、ご容赦を m(_ _)m


「かとり」1   「かとり」2   「かとり」に最接近
   
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私も漕ぎました V(^_^)   随伴艦「きくづき」   「きくづき」に最接近
   
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昭和46年(1971年)5月

昭和46年度の練習艦隊は5年6月30日に鹿島立ちをし、これを防大短艇委員会などが機動艇2隻をもって観音崎沖で見送りをしました。 この年の遠洋航海は新造の練習艦 「かとり」 と随伴艦 「やまぐも」 による北米方面で、実習幹部は幹校21期 (防大14期と一般大卒) 163名、練習艦隊司令官は後に私達の時の幹部候補生学校長となる今井梅一海将補でした。

ピントや画角があまり良くないことと、プリントやネガの経年劣化のために画質も良くありませんことを、ご容赦を m(_ _)m


「かとり」1   「かとり」マスト直上にHSが   「かとり」に最接近
   
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「かとり」4   随伴艦「やまぐも」   「やまぐも」2
   
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 防大乗艦実習にて

2学年 第32護衛隊 北海道巡航

昭和45年(1970年)大湊地方隊の第32護衛隊(きたかみ、おおい)は7月11日〜21日の間、防大2学年夏期定期訓練中の海上要員21名の乗艦実習を兼ねて、夏期北海道巡航を行いました。

大湊 → 小樽 → 北見枝幸 (錨泊) → 稚内 → 留萌 → 瀬棚 (錨泊) → 大湊 でしたが、私達実習員にとっても大変に楽しい航海でした。

また、北見枝幸から稚内に向け宗谷海峡を西航時に、監視行動中のソ連海軍(当時)T-43 型哨戒艇(旧掃海艇)の接触を受けております。 私が初めて生で見たソ連海軍の艦艇でした。 この時はちょっと緊張。

防大2学年海上要員の夏期乗艦実習は、それまで第1練習隊(あさひ、はつひ)やPFで行われてきましたが、この年初めてそれ以外の護衛艦で乗艦実習が行われました。 そしてこの時に第31護衛隊(いすず、もがみ)での乗艦実習組と合わた海上要員の中で、私も含めた数名は以後もこの「あさひ」「はつひ」やPFに一度も乗ったことがない最初のクラスとなりました。

なお、防大2学年の乗艦実習そのものについては 『砲術への想い』『小原台の4年間 第2学年』 の当該記事をご覧下さい。


錨泊中の「おおい」   「きたかみ」の31番砲越しに見た「おおい」   「きたかみ」 の前甲板から
   
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航行中の「おおい」1   同 左 2   北見枝幸のオホーツク海での「おおい」実習員による6mカッター橈漕訓練 (実は士官室用のカニの買い出し(^_^))
   
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宗谷海峡監視のソ連海軍T-43型哨戒艇(旧掃海艇)の接触を受け、確認に向かう「おおい」   「おおい」の後方につくソ連艇   同 左
   
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稚内港に艫付け中の稚内海上保安部の巡視船 PM59「ほろない」   同 左 2   同左3(当直者に断って船内見学をさせてもらいました)
   
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3学年 第10護衛隊 舞鶴〜横須賀

昭和46年(1971年)防大3学年の夏期定期訓練において、江田島での海技訓練に続いて、海上要員108名の乗艦実習が舞鶴を定係港とする第3護衛隊群の第10護衛隊(ゆうだち、むらさめ、はるさめ)の3隻によって7月22日(木)〜8月6日(金)の間行われました。

舞鶴→ 栗田湾 → 舞鶴 → (関門海峡、豊後水道) → 名古屋 → 四日市 → 横須賀で、この間の訓練もバラエティに富んでおり、実習員としても大変に楽しむことができました。

なお、防大3学年の乗艦実習そのものについては 『砲術への想い』『小原台の4年間 第3学年』 中の当該記事をご覧下さい。


東舞鶴岸壁の第4駆潜隊   「ひよどり」、「やまどり」   東舞鶴の岸壁
   
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第31護衛隊   同 左 2   同 左 3
   
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日立舞鶴の「むらくも」   日立舞鶴の「ながつき」   日立舞鶴の「おおい」
   
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舞鶴に向けて「はるさめ」   東舞鶴横付け中の10護隊   東舞鶴岸壁の第10護衛隊
   
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「ゆうだち」   「ゆうだち」   「ゆうだち」
   
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「ゆうだち」   「ゆうだち」   「ゆうだち」
   
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「ゆうだち」   「ゆうだち」   「ゆうだち」
   
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VDS 曳航中の「はるさめ」   「はるさめ」5インチ砲対空射撃   同 左
   
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「むささめ」52、53番砲   「むらさめ」5インチ砲対空射撃   海空訓練中の「むらさめ」
   
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4学年 第22護衛隊 呉〜佐世保

昭和47年(1972年)防大4学年の夏期定期訓練において、海上要員108名の乗艦実習が呉を定係港とする第1護衛隊群の第22護衛隊(みねぐも、なつぐも、むらくも)の3隻に分乗し、7月22日(木)〜8月6日(金)に呉〜佐世保間、同じく呉を定係港とする第8護衛隊(いそなみ、しきなみ)の2隻との合同訓練に合わせて行われました。。

なお、防大3学年の乗艦実習そのものについては 『砲術への想い』『小原台の4年間 第4学年』 中の当該記事をご覧下さい。


呉の22護隊と「しきなみ」   呉の11護隊と「いそなみ」   呉出港回頭中の「いそなみ」
   
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呉後進出港中の「むらくも」   航行中の「しきなみ」   回頭中の「みねぐも」
   
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「むらくも」   「なつぐも」対空射撃   「しきなみ」対空射撃
   
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ハイライン近接中の「むらくも」   同 左   ハイライン訓練終了
   
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戦術運動訓練   同 左   同 左
   
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戦術運動訓練   同 左   同 左
   
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佐世保出港の「ちくご」   同 左   佐世保入港中の「むらくも」
   
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回頭横付け中の「むらくも」   佐世保干尽岸壁実習員退艦   佐世保干尽岸壁の8護隊
   
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 各基地などで見かけたもの

昭和46年(1971年)5月 第11護衛隊


昭和46年5月、防大短艇委員会は神戸商船大(当時)主催の全日本カッター競技大会参加のため阪神基地隊に事前進出して合宿しましたが、その合宿中に第11護衛隊(たかなみ、おおなみ、まきなみ)の3隻が阪基に寄港して体験航海を行いました。 3隻とも沢山の一般市民を乗せての航海でしたが、入港は日没後となり、航海灯を点灯しての入港です。

当時第11護衛隊の定係港は呉でしたが、この年の2月に第2護衛隊群から新編の第4護衛隊群に編成替となったばかりでした。


阪基岸壁に横付け中の11護隊   「おおなみ」 の艦橋   「たかなみ」 の艦橋
   
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「たかなみ」 の VDS
( OYA-1A)
  出港回頭中の 「たかなみ」1   「たかなみ」 2
   
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「たかなみ」 3   「たかなみ」4   「たかなみ」 5
   
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夜間入港中の 「たかなみ」   「おおなみ」 と 「まきなみ」   出入港支援の曳船 YT-46
   
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ある日の呉 昭和45〜48年(1970〜73年) ← UPDATE !


昭和45年から昭和48年にかけて、防大の夏期定期訓練や幹部候補生学校在校中に呉で撮影したものです。


第2魚雷艇隊(手前、魚雷艇7号の上甲板が黄色なのはアルミ船体の下地塗料のためです))   特務船35号(YAS-35、旧警備艇「はまぎく」(LSSL-87))   各種支援船
   
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除籍直後の掃海母艦「はやとも」(MST-461)   掃海母艦「はやせ」(MST-462)   ブイ係留中の護衛艦「ゆうぐれ」(DD-184)
   
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護衛艦「いかづち」(DE-202)   訓練支援艦「あづま」(ATS-4201)に横付け中の第7護衛隊(いかづち、いなづま)   同 左(DE-202、DE-203)
   
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第37掃海隊「くだこ」(MSC-622)(手前)、「はりお」(MSC-618)(奥)   第41掃海隊「いおう」(MSC-631)(手前)、37掃「はりお」   出港中の第37掃海隊「からと」(MSC-317) 
     
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第1潜水隊の「わかしお」(SS-522)「なつしお」(SS-523)「ふゆしお」(SS-524)   同 左   「なつしお」、「ふゆしお」
   
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「わかしお」   第2潜水隊「おやしお」(SS-511)   第2潜水隊「あらしお」(SS-565)
   
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 最終更新 : 26/Apr/2020