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海上自衛隊の砲術・艦砲射撃の3大教範について |
以前ブログの方で3回に分けてお話しした海上自衛隊における砲術・艦砲射撃に関する 「教範」 についてこちらに纏め直し、更にブログで触れました海上自衛隊初期のものの幾つかをそれぞれPDFファイルにしてご紹介します。 |
教範というのは 「部隊の指揮運用、隊員の動作等に関する教育訓練の準拠を示したもの」 と定義され、これは昭和40年に防衛庁訓令第34号 『教範に関する訓令』 により定められた3自衛隊共通の用語です。 そしてこれに基づき、海上自衛隊では昭和41年に 『海上自衛隊教範に関する達』 が定められ、これにより種々の教範が作成されています。 |
艦砲操法教範 |
艦砲射撃教範 |
砲戦教範 ← NEW !! |
まずは 『艦砲操法教範』 から。
旧海軍時代の 『艦砲操式』、( 『海軍艦砲程式』 ) そして海上自衛隊の 『艦砲操法教範』 は、その名の通り 砲機の操縦及び弾薬の供給に関し、射撃関係員の順守すべき操作を規定するもの です。
したがって、具体的な砲機が異なり、艦艇への装備方法が異なれば細部は違ってくるものですが、逆にどのような砲機やその装備方法であろうとも、共通するところがあります。 特に安全に関する部分や、号令詞などの最重要なところは同じでなければなりません。 海上自衛隊においては、この 砲機の違いに関わらずその共通するところを 『艦砲操法教範 (一般の部)』 として定めております。
この 『艦砲操法教範 (一般の部)』 の最初のものは、昭和39年に海上自衛隊達第99号別冊として 「秘」 に 指定されて出されました。 そしてこれは先の防衛庁訓令等に基づき、昭和41年に海上自衛隊教範第44号として改めて指定 し直され、かつ昭和47年には 「秘」 の指定が解除 されています。
私なども当初はこの時の教範で習ったのですが、昭和51年に海上自衛隊教範第240号 『艦砲操法教範 (一般の部)』 となり、秘密指定の無い普通文書として出されました。 教範の構成や内容などは基本的に以前のものと同じなのですが、砲熕武器や射撃指揮装置などの進歩に合わせて多少変更が加えられています。
「艦砲操法教範 (一般の部)」 (昭和51年) |
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「艦砲操法教範 ( 一般の部)」 について、この昭和51年版はもちろんのこと、その教範の全文が公開されるのはネット上も含めて初めてのことと思います。
そして、更に 平成5年に海上自衛隊教範第364号 として若干の改訂・改正が加えられたものになりましたが、当時の一連の秘密漏洩事件の影響を受けて海上自衛隊の部内資料は全て一般には公開しないこととなり、この教範も 「部内限り」 とされてしまいました。
なお、この平成5年版は現行のものに共通するところがあり、この古い 「部内限り」 であるとはいえ、これも含めてこれ以降のことについては申し上げる立場にありませんので (^_^;
しかしながら、昭和51年のものは多分どこかにまだ残っているのでしょうが、最初の昭和39年のものはまだどこかに残されているのかどうか ・・・・ ?
旧海軍の艦砲操式については 「砲術講堂」 コーナーの 「旧海軍の砲術」 中の 「艦砲操式」 の項において既にその沿革をご説明しておりますのでこれをご参照ください。 また、最終の昭和14年の 「艦砲操式」 については機会を見て同項にて追加公開する予定にしています。
続いて砲術・艦砲射撃に関する 「教範」 のメイン中のメインである 『艦砲射撃教範』 です。
この旧海軍における 『艦砲射撃教範』 は、近代射法の誕生に伴う大正2年に始めて制定されたもので、その後数度にわたり射法を中心とする艦砲射撃の発展と共に改訂が加えられ、最終的に昭和12年に全面改訂されたものが旧海軍における最後のものとなりました。
その教範の目的とするところは 「射撃関係員を訓練シ戦闘ニ当リ射撃効果ヲ最大ニ発揚セシムル為準拠スベキ原則ヲ示ス」 ものとされています。
戦後の警備隊及び海上自衛隊の創設期においては、当初は “ともかく何でも米海軍に倣え” ということで、米海軍資料に基づいていましたが、結局のところ、砲やレーダーについてはともかくとして、砲術・艦砲射撃そのものにつては米海軍に習うことはほとんどない、と言うことがハッキリしてきました。
これにより、旧海軍のものを参考にしつつ新たな教範を作ることとなり、これが 昭和33年の海上自衛隊達第11号別冊 海上自衛隊教範第10号 『艦砲射撃教範』 として制定 されました。
この戦後初の 『艦砲射撃教範』 は 「射撃にあたり射撃効果を最大に発揮するため、射撃関係員の従わなければならない原則を示す」 とされ、旧海軍のものとは多少の表現の違いはあるものの、その目的とするところは同じものでした。
当初は 「秘」 指定のものでしたが、昭和41年に なって防衛庁達とそれに基づく海上自衛隊達の制定に伴い、これを 「取扱注意」 とした上で、新たに海上自衛隊教範第10号の 『艦砲射撃教範』 として出し直し たのです。
そして、その後の装備武器などの進歩に伴い 昭和48年 にこれを多少修正・改訂したものが 「取扱注意」 指定 (後に文書管理の変更に伴い 「注意」 となりました) の 海上自衛隊教範第203号 『艦砲射撃教範』 となりました。
「艦砲射撃教範 (昭和48年版) |
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「艦砲射撃教範」 について、この昭和48年版はもちろんのこと、その教範の全文が公開されるのはネット上も含めて初めてのことと思います。
ただし、「この教範は、艦砲による射撃に関する教育訓練の準拠を示すことを目的とする」 とされ、時代の世相を反映して実際の戦闘を匂わせる表現では無くなっています。
とは言っても、私達の若い頃はこれで習ったのですが、全体的な内容はそれまでの 『艦砲射撃教範』 の要旨を踏襲したもので、まだまだ旧海軍時代のものが色濃く残っており、流石は旧海軍の艦砲射撃の伝統に基づいた端的で緻密なものであると思いました。
しかしながら、その後の趨勢として短SAMも含むミサイル搭載艦が増えるにしたがって、このミサイル射撃も含めたものにしたらという声が出てきたことによって、 平成10年に このミサイル射撃と艦砲射撃とを一つにした新たな 『艦艇射撃教範』 が 「秘」 指定の海上自衛隊教範第376号 として出された のです。 ( ただし 「秘」 指定の文書とは言っても、実際には秘密部分はデータなどのほんの一部で、大部分のページは 「部内限り」 となっていますが。 )
ところが、この教範はミサイル射撃と艦砲射撃を一つにしてしまったために、元の 『艦砲射撃教範』 にあった旧海軍時代から続く用語の定義や射撃指揮に関するものを、ミサイル・システムに合わせた、いわゆる “現代風” にしてしまったのです。
このため、本来教えるべき艦砲射撃についての基本中の基本が判らないものとなってしまいました。 私達の多くは “これでは全くダメだ” と口を大にして指摘したのですが、その方面で名が知れたかの有名な人物が直接の当の担当者で、“これで良いんだ” と言い張って全く聞く耳を持ちませんで、この可笑しなものが制定されることになってしまいました。
結局のところ、これでは使い物になりませんので、艦砲射撃については従来のものに従って教えることになったのです。 (少なくとも私が現役の間はそうでした)
この 『艦艇射撃教範』 も含めてその後のことは、私は申し上げる立場にはありませんし、“知りません” ので m(_ _)m
それにしても、改訂版たる昭和48年のものは多分まだどこかに残って保存・保管されているのでしょうが、最初の昭和33年のものはまだあるのかどうか ・・・・
旧海軍の艦砲射撃教範の変遷については 「砲術講堂」 コーナーの 「旧海軍の砲術」 中の 「砲術関係教範・規則類の沿革一覧」 の項において既にその概略をご説明しておりますのでこれをご参照ください。 また、最終の昭和12年の 「艦砲射撃教範」 については機会を見て同コーナーにて追加公開する予定にしています。
砲術・艦砲射撃に関する3大教範 の最上位である 『砲戦教範』 についてです。
旧海軍における 『砲戦教範』 は、昭和5年になってその草案が作られましたが、翌昭和6年には 『砲戦操式』、7年には 『第三改正海戦要務令 続編』、8年には 『第四改正海戦要務令』 の制定などなどの様々な要因が重なったために、やっと昭和13年になって正式なものとして制定されました。
この 『砲戦教範』 の目的は 「主トシテ水上艦艇ヲ基準トシ之ガ砲戦実施上準拠スベキ事項ヲ示ス」 とされていました。
そして、太平洋戦争における戦闘様相の変化に合わせるため、昭和18年に改正案 が作られましたが、これは結局終戦までに正式に制定されるに至らなかったとされています。
そしてこの改正案には、別にその改正理由が付属しており、昭和13年版の砲戦教範との違い及びその理由が詳細に示されていました。 これによって旧海軍の砲戦についての考え方が大変良く判ります。
戦後の警備隊及び海上自衛隊の創設期においては、当初は “ともかく何でも米海軍に倣え” ということで、米海軍資料に基づいていましたが、一応昭和40年代に入った頃から海上自衛隊独自の考え方も取り入れたものとするとの傾向が出てきました。
そこで、昭和44年になって 砲術・艦砲射撃についての最上位教範である 『砲戦教範』 が作成され、「秘」 指定された海上自衛隊教範第135号として制定 されました。
その目的とするところは 「艦艇による砲戦に関する教育訓練の準拠を示す」 ものとされ、当時の米海軍の戦術書の内容が大幅に取り入れられた水上砲戦、対空砲戦及び対地砲戦について纏められたもので、ミサイル戦については関連するその一部が記述されてはいるものの、当時の情勢としてまだ本格的な項目にはなっていません。
しかしながら、基本的には砲戦実施上の要点が述べられていたことと、かつこれが秘文書であったことから、艦艇幹部は学校教育での何かの時に読んでその趣旨は理解する機会はあったものの、現場において日々紐解くようなものではありませんでした ので、大抵は秘文書類の金庫の中にしまわれたまま、つまり “金庫の肥やし” ということに (^_^) この点は、更に上位教範といえる 『海上自衛隊用兵綱領』 と似たような性格のもの であったと言えるでしょう。
これもあって、この 『砲戦教範』 は長い間修正・改善されることも、時代の変遷に応じた新しいものに改訂されることもないままで、手元にある残された資料では 昭和58年頃に これを 『砲戦・ミサイル戦教範』 とする改定案が検討されていた ようですが ・・・・
ここで公開しますのは、当時幹部中級課程の学生に配布された 「砲戦・ミサイル戦」 のスタディガイドガイド (SG) ですが、内容はその教範改正ための “検討案” の私案としての一つであり、表紙に 「用返却」 とされていますが、一連番号がふられたものでも学生各自への配布記録が作成されたものでも、またそれに基づき講義や課程終了後にそれに返却が求められたものでもありません。 勿論、規則に従った正規の秘密文書でもありませんでした。
「砲戦・ミサイル戦」 SG (昭和58年 第1術科学校) 表紙・目次 |
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古い第1術科学校のSGですので全文を公開しても良いのですが、目次をご覧いただいてお判りのようにこの検討用私案には当時の米海軍の戦術書にあるものを引用している、と言うかほぼそのまま丸写しですので、これに関連する事項は 『現代戦講堂』 の各種戦コーナーに譲ることとし、ここでは取り敢えずは当該SGの表紙と目次のみの公開とさせていただきます。
後に 『砲戦教範』 は一旦廃棄された後、全面的に新しくなった別のものが作られたと聞いていますが、その性格上から秘密文書でしょうから、昭和44年の 『砲戦教範』 ともども、海上自衛隊から公開されることはまずないでしょう。 これについては私は具体的な内容について言及する立場にはありませんし “知りません”。
最終更新 : 12/May/2024